立ちながらブログを書く

最近は、つぶやき的な記事は、思い立ったらぱっとパソコンを開いて立ったまま書くことが多い。

ひとつの記事を書くために熟考しない。そのとき噴き出した感情のままに書く。時にはボロボロ泣きながら書くこともある。

たぶん時間をかけて慎重に書けば書くほどそのとき溢れた感情は冷めて、ブログ上では、その感情の誕生はまるでなかったことになる。心がヒートアップしたことは覚えていても、刹那的に打ち上げられた言葉はもう二度と同じようには蘇らない気がする。

コーヒーを入れて、ゆっくりと椅子に腰を落ち着け、さあ書こう、としても結局書けない。だからしばらくは恥さらしのような文章でも、残したいと思った言葉をどんどん垂れ流していくことにする。

なるべく自分の心に耳を澄まして、指先がほとんどリアルタイムで感情を書きなぐっていく。

なので…お見苦しい文章の数々、お許しを…

なにかの、雑草の、芽。

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昨日、菜っ葉やらキュウリやらを植える予定のハウスの中で、桑を使って溝を作っていたら、土の中から、パラパラ、パラパラと、芽。

 

なにかの…雑草の…芽。

 

この小さいまだ弱々しい芽が、あと数か月したら私たちを悩ませる強靭で不死身の雑草になるのか…!と一瞬憎々しく思ったけど、やっぱりかわいい。

 

きっとまだ芽も出ないたくさんの小さな小さな種が、土の中でムズムズしていて、だんだん暖かくなってきた陽ざしに向けて顔を出したくなったり、でもやっぱりまだ寒くて寝ていたくなったりしてるんだろうな。人間みたいだな(でも私はポカポカ陽気の中でも寝ていたい…)

 

春は、土の中から突如現われた名も知らぬ雑草の芽や、雪解けのすき間から顔を出すフキノトウの黄緑色や、ヨモギの赤ちゃんのやわらかそうな葉に、いちいちハッとさせられる、そんな季節です。あ、今日は白鳥がたくさん田んぼの上で鳴いていたな。

 

自然の中にいることだけが、私の救いです。

安全じゃなくて安心がほしいんでしょ

やれ放射能汚染だ、やれ水質汚染だ、PM2.5だ、と私たちの国は、世界は汚染だらけ。

 

福島第一原発事故による食品や土壌汚染の実態と、過去の貴重な教訓であるチェルノブイリ原発事故の30年後を知れば、日本人の数年後、数十年後がどうなっているかは明らかだ、と思うのだがそれに目をつぶる人(考えたがらない人)が多い中で、みんなが求める「安心」なんて口だけで中身はスカスカなんだなと思う。

 

昨日、友人と話していて気が付いたのだけれど、たいていの人は、本当に安全を求めているわけじゃない。

 

本当に健康に生きたいと思っているわけじゃない。

 

安全であろうがなかろうが、「大丈夫だよ」「ご安心ください」って言われたいだけなんでしょ。

 

何を食べようが飲もうが吸おうが、今突然病気にならなきゃいいんでしょ。

 

誰かに決めてもらえればそれでいいんだ。お上が大丈夫だって言えばそれで安心なんだ。安全じゃなくって安心がほしいだけなんだ。今楽しければいいんだ。

 

 

 

それでわたしは?

 

わたしは健康に生きたいの?

 

なぜ健康に生きたいんだっけ。

 

それをあの日から見失ってしまったよ。

 

もう一度だけでも、あなたの言葉に触れられるなら、取り戻せるのかな。

 

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26歳の加速

高校生の頃、先生たちが言っていた「5年も10年もあっという間だ」という感覚は、自分にはまだ何十年も訪れなくて、時はゆったりと流れ、つらいことはあっても、毎日が豊かな起伏に彩られて進んでゆくと思っていた。

 

まだ26じゃないの、という突っ込みは無視する。これは誰かとの比較ではなく、私の中の強烈な実感だから。未来との比較はできっこないし。

 

弟に希望を語る口で、ふるえる息を吐く。

 

母が料理をする音

階下から立ち上るコーヒーの香り

両親のなごやかな笑い声

弟たちの悲しみを知らない笑顔

人と人とは分かり合えないもの、と分かり合った2月のこと

 

時が加速していく。大事な、大事な、あたたかな想い出はどんどん遠くへ、、

 

自分の心が、どんどん老いていくのを感じる。

諦めが、絶望が、毎日毎日窓の前に降り積もって、光が射しこまなくなっていく。

私は潤っているように見えるだろうか。

乾燥した部屋でカラカラになって、水はどんどん染み込みにくくなっていく。

それが生きるってことなの?

 

私は何を恨んでいるのだろうか。

 

ああ、春の新しい芽吹きの輝きが、溶かしてくれますように。

 

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春は白いキャンバス

日本のこのかなり北の方に位置する旭川にも、春がきた。

もう、春を感じない人はいないだろう。

 

一足先に夏に向かおうとしている石垣島から帰ってきたら、帯広に住む友人から「おかえり」と連絡がきた。

 

そして、

 

「春が来たらまた連絡するね」と。

 

彼はこの春、新卒で配属された土地から初めての転勤がある。

時おり吹く強い風に、心がざわつき、期待と不安に揺れ動いているのを感じたよ。

 

私は?

 

私は。

 

車の中の本当にひとりきりの空間で、何を見ても何を聞いても何を想い出しても、となりの海の向こうの人のためにめそめそ泣くのはもう嫌なんだよ。

 

春が、新しい年が、いろいろなものを隔てたり、近づけたりしようとしている。

 

未だ、希望は描けない。

ハタチに満たないような子たちが春の旅立ちに向けて目を輝かせているのを見て絶望もする。

 

でもまたキャンバスは真っ白になった。5年前と同じだ。

そこに何が描かれるのか、正直1ミリもわからないけれど。

 

私は帯広の友人に答えた。

 

「人生も気持ちも塗り替わっていきそう」

 

春は白いキャンバス。

2017年2月23日に真っ白に塗りつぶしたキャンバスを、

また塗り替えていく。

 

The answer is blowing in the wind.

 

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春はあけぼのシリーズ第2弾でした。まだたったの第2弾かあ。もうカッコつけるのはやめにしよう

(第1弾:冬はラジオ

 

 

永遠に会えないのは死んでしまうこととなにが違うのでしょう ~『初恋』

出せない手紙を、

 

あるいは読み手のいない手紙を、

 

今日も頭の中で綴る。

 

伝えたいこと、

 

聞いてほしいこと。

 

言葉ばかりが降り積もり続け、

 

あふれるたび吐きそうになる。

 

誕生日のちょっと前の、あの日から光が途切れた。

 

呑み込むしかない言葉たちを、

 

抱え続けて昼か夜かもわからず歩む細い道。

 

あなたは今も生きていますか

 

 

前髪切ったら、帰りつつある私。

少し前の話だけど前髪を切った。

前髪は数年前から横と同じだけ伸ばしていて、だいたいいつもパーマをかけていて、それはとても楽だったし、大人っぽく見えるから気に入っていたのだけど(小さいころから3~5歳は下に見られ続けてきたので)

たまたま中途半端な髪型になってしまったタイミングを機に思い切って前髪を切ってみた。

何年ぶりかに、私のおでこに現れた前髪をみて、私は笑ってしまった。

「子どものころの私だ!」
と思ったからだ。

パソコンに保存した過去の写真を調べてみると、ちょっと長めだけどはっきり前髪と分かる長さの前髪の私が、2012年の写真の中にいた。

つまり4年ほど前。4年ほど前といえば私は21歳くらいで、子どもとはいえない。

鏡の中のぱっつん前髪の私にリンクさせた「子どものころの私」とは、幼児期から小・中学生ころの私。まさに「子ども」と呼ぶにふさわしい時期。

美容室は行ったことがなくて、いつも母親が髪を切ってくれていた(ちなみに弟はバリカン)。

素人の母が切るから前髪はいっつもぱっつん。ついでに横もぱっつん(笑)

まるーいおでこに、そろった短い前髪。これが子どもの頃の私だった(ついでに当たり前だが背は今以上に低かった)

美容室の鏡に映る、ぱっつん前髪の自分を見て、

「なんだ、私変わってないじゃん」
とおかしく思った。


子どものころは、早く(年齢的に)大人になりたくて、(外見も)大人に見られたくて(中身は落ち着いてた、または大人しかったからね笑)たまらなかったのに、子どものころのような前髪に戻った自分を見て、私はなぜかホッとした。

「私、変わってない」と思えることに、なぜかホッとしたのだ。

なんだか、結局これが本当の私なんだとふいに納得がいった。

ぱっつん前髪がトレードマークだった自分。
背伸びしても背は伸びないし大人っぽくもなれない自分。
クラスの端っこで気の合う友達と絵を描いたり少女漫画や小説の話をしていた自分。
クラスで目立っていた友達には何とか合わせて愛想笑いしていた自分。
団体行動は苦手で煩わしくて、一人で考えて動くのが好きな自分。
ジブリアニメの影響で、木の枝で弓矢や剣を作ったり、飼っていた白い犬にまたがって遊んでいた自分。
顔に白いごはん粒をたくさんつけておにぎりをほおばっていた自分。

もちろんどんな髪型をしていようが私は私に決まっている。ロングだろうがベリーショートだろうがアフロだろうが、私は私だ。でもなんだか、背伸びしない分自分らしくのびのびといられる気がする。これはとっても、感覚的なことだけど。

最近は自分というものが大きくなりすぎて、人と共有できないことの大きさが大きすぎて、内に内にと入りつつある(もちろんいつかは共有できないことを堂々と伝えられるようになりたいのだけど)。でもそのぶん自分がどんなふうに生きたいか、どんなふうに大切な家族と生き延びていくかが、明白になってきた。

いま私が「帰りつつある私」は、本来私が生きたかった「私」だ。そんな気がする。

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