春に聴く歌 笹川美和 『時』

こういう、ほがらかな陽ざしの季節。春でも秋でも、車で聴くUSBメモリに入れるプレイリストには、哀しい歌詞でも前向きな歌詞でも、やわらかな調子の邦楽を入れたくなる。

 

春は、はじまりの季節のようで、それまでの1年を、やさしく、時には残酷に、包み込んで終わりにさせてしまう、幕引きの季節なのかもしれない。

「忘れて、先に進みなさい」と…。

 

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笹川美和 『時』

 

時などはとめどなく溢れて消えるもの 消えるもの

眩い季節 色褪せる季節 同じと するもの

 

そんなものにあたしの心 いやせると言うの?

あの人しかいやせぬ心を いやせると言うの?

 

時などはとめどなく溢れて消えるもの 消えるもの

恥じる季節も 忘れる季節も 同じと するもの

 

そんなものにあの人の心 戻せると言うの?

あたしさえもわからぬ心を 戻せると言うの?

 

流されるしかない

 

薄紅色の 薄桃色の 季節を 歩こう

眩いばかりの緑の道の 季節を 歩こう

白いがゆえに白さきわだつ季節を 歩こう

 

知りゆく あたし 逆らえず あたし

永遠に 歩こう

 

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ぜんぜん、幕なんか引けないけどね

愛おしさも、哀しみも、憎しみも、恋しさも、季節を越えて、育ててしまう日々です。

 

数多

数多

 

 

トラクターの赤い入れ歯(差し歯?)

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今日はトマトのハウスにロータリーが入るということで、トラクターが動き出す。
トラクターってカッコイいよね。

去年のロータリーの歯がすり減っちゃって使えないということで、父がホームセンターで歯を買ってきて付け替えたのだけど、

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トラクターはもううん十年選手でおんぼろなのに、歯だけ赤くてピカピカで。

皮膚も唇もヨボヨボのおじいちゃんに新品の入れ歯をつけたみたいになった…

世界が滅んでリセットされる夢

 

今日は以前に見た夢の続きを見た(気がする)

 

よくわからないけれど気が付けば見慣れない施設にいて、ハジメマシテの人たち(老若男女)がたくさんいて、よくわからないままに私はそこの人たちと仲良くなったり仲悪くなったりします。

 

その施設での生活がどうやら終わるころ、知らされるのです。世界はもう何度目か(確か5、6回目)のリセットの日。その施設は宇宙船か地下のシェルターか何かで、人類がこれまで作り上げた地上の世界が崩れ落ちる間、何十人か何百人かの人間が、そこでじっとソレが終わるのを待つのです。

 

私はそれを知った時、「マトリックスターミネーター(3)じゃん!」という突っ込みを入れてました…

 

今、ごくわずかな人が一時の富を得るために、人類には滅ぶ(自滅する)以外の道があるとは思えない。

 

そんな考えから抜け出せない26歳です。

 

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撮る「自然」から感じる「自然」へ

福島原発事故があって、その1年後に大学を休学をし、両親は離婚して、母と弟たちが石垣島へ旅立ち、そして私は実家を出て旭川市内で一人暮らしをはじめ社会人になった。農園のある実家から比べれば「コンクリートジャングル」の旭川の街なかの便利な生活にすっかり魅了された。何とか車も持てたから何時に何をするのもどこへ行くのも自由だった。車がなければ実家のある町の中心部に出ることすら難しいところに住んでいたからそれはもう別世界で、4年と少し、自由気ままなひとり暮らしを私なりに楽しんだ。

 

小~中学生ころから、父が使わなくなった携帯電話をもらってカメラ代わりに使い始めたのを皮切りに、デジカメや、高校から持ち始めた自分の携帯電話、スマホ、そして今はミラーレス一眼(オリンパスのPEN)で、写真を撮るのはささやかな私の趣味になった。風景や草花、コロコロと表情を変える弟たちの写真ばかりを撮っていた。

 

父のコンデジや自分のミラーレスに触れてからは、塩狩駅の桜や、遠軽のコスモス、江丹別の水芭蕉常磐公園の睡蓮、しばれた冬の朝の大雪山などを撮るために出かけた。旭川だって東京なんかと比べたら田舎かもしれないけど、旭川の街なかに住み始めてからの私にとって自然は、わざわざカメラを準備して撮りに行く、見に行く自然だった。

 

今は昼でも夜でも、救急車の音も消防車の音も一度も聞こえない。

車の音すら、他人の足音すら、家にいたら1日に一度聞くかどうか。

星々の明かりをかき消す街灯はひとつもなく、夜空を切り取る建物はなく、山の黒々とした稜線が紺碧の大空にうっすら見える。夜に仕事から帰ってくるたび、降り注がんばかりの星たちにしばしポカンとなる。

 

そんな場所に戻った今、春を迎え、ふきのとうや蓬や様々な雑草が芽吹いて、撮影の題材はそこら中にあるものの、わざわざカメラを取り出そうという機会が減った。

 

風が吹いて、干し草のような春の乾いた匂いをかぐ。弱々しくもあたたかい太陽の光を体いっぱいに感じる。雪の下でひそかに息づいていた命の芽吹きに目を細める。

 

毎日、ちいさなリズムを刻みながら少しずつ少しずつ進んでいく季節を体で感じられるから、画像データとして残したいという欲求が少し削られたみたいだ。

 

撮る「自然」から、感じる「自然」へ。

 

 

でも、本当にきれいだから、時には撮るけどね^ ^

写真も勉強中なのだ。

幸福への憧れ

 

当麻の実家に引っ越して、2階の2つの子ども部屋を整理していたら、古い古いオルゴールを発見した。

写真ではわかりづらいけど、ホコリまみれ。でもホコリをかぶっても、このオルゴールを見ると、うっとりと憧れるような気持ちになるのは子どものころと変わらなかった。

窓辺から溢れる花々。ゆっくりとまわる水車。きっとこの家に住むのは大家族で、犬や猫を飼っていて、窓辺には鳥が遊びに来る。鳥のさえずりや家族の笑い声が絶えず、家の周りには豊かな緑が広がって、頭上にはどこまでも青い空が続く。そんな情景を想像させるすてきな家だ。

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いくら想い出の品でも、もうなんでもとっておくのはやめようと、色々なものを捨てた。このオルゴールも、ザラザラした表面なのでホコリを完全に取り除くのは難しいし、捨ててしまおうと思った。

 

けれど、ふと思い立って、家の裏側にあるレバーを動かした。その途端、やさしいメロディが、ポロンポロンと流れ出した。何の曲かはわからないけれど、やさしいメロディ。

私はしばしその音色に聞き入ってしまった。

 

だんだんと止まりそうなほどにテンポが落ちていくメロディ。水車を手動で回せば、またもとの早さで鳴り出す。

 

私は掃除機とぞうきんを使って、軽くホコリをぬぐった。

やっぱり、捨てられないな。

私はそのオルゴールを、子どものころ使っていた学習机にそっと置いた。

 

今日の発見~亡き骸と芽吹き・トマトの風船

 

これからトマトや大豆を植えていくハウスのゴミ拾いをしていたら、去年の秋に植えたらすぐ冬が来てあまり大きくならなかった大根の場所に、新しい大根の葉っぱ。

一株引っこ抜いたら、ひょろひょろの白い大根がちゃんと育っていたよ。

 

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それから人参を植えていた場所には、やっぱり人参。

去年地面の上で溶けてしまった実の場所から、新しい葉っぱ。

人参の亡骸の側に、新しい命。

なんだかお墓のように見えた。

 

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白いビニール紐やグリーンのマルチを拾っていたら、なんだか黄色いビニールみたいのがチラホラ落ちているなあと思っていた。こんな素材畑で使っていたかなと考えていたら、風船のように膨らんだ黄色い物体が。その膨らみでわかりました。

 

トマトだ!

 

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去年地面に落ちたトマトの実が、中身だけとろけて、皮だけ雪の下に残っていたのだった。トマトの風船みたいで面白かった。

 

ただ土の上を歩いているだけでいろんな発見がある。

トンネルの向こうへ

 

もしもし。

 

今日も一生懸命仕事をして、

 

仲間や上司と楽しく飲み、

 

新しい街へ期待を膨らませていますか。

 

あなたにとって未来は明るいですか。

 

さみしくはないですか。

 

 

どうかカッコつけないで。

 

本当に欲しいものを取りに行ってください。

 

あなたの名前が日本中に轟くのを、

 

私の耳に届くのを、

 

そして、

 

 

あなたが応えてくれるのを、待っています。

 

 

何年でも。

 

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