薄桃色と水色、一瞬の春

 

今日は学生合同文化祭のPRでFMりべーるに行く前後、カメラを持って買物公園と常盤公園を歩き回った。汗ばむほどの陽気。温度差のはげしい旭川では、春が来たと思ってほっとしていたら初夏になっていた、という感覚に陥る。春だねえと確認しあう間もなく、夏がきて、畑が忙しくなり、街中ではイベントごとも多くなる。

 

今日はGWまっただ中ということもあって、みんなリラックスした顔で、行楽を楽しんでるふうだった。

 

市役所横の桜が見事だった。朝8時過ぎに5分咲きかなと思ったら、20℃を上回った昼ころ、ほぼ満開になっていた。

 

透きとおる桃色。明るいブルーの空。こんな鮮やかな組み合わせがあるだろうか。

 

やっぱりカメラは楽しいな。

 

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余談だけど、今日、福山雅治二階堂ふみの「SCOOP」という映画を見て、もっと距離の長いズームレンズが欲しくなった。欲は果てしない。ともあれいい映画だった。

ドビュッシー『月の光』(ベルガマスク組曲)

 

ドビュッシーの「月の光」の、あのやさしいピアノ。冴え冴えと、ほのかに白い光の粒が降り注ぐような、あのひそやかなピアノ。

私の家には、月も星もあるんだ。美しい山並みも、空も、畑も、小川も、さりげない野の花も。幸福そうに歌う小鳥たちもいるよ。

 

あなたの新しい街にも、あるのかな。


静かな夜に、やわらかな月の明かりを眺めながら、「月の光」をあなたと聴けたら。あなたの好きな、刻々と姿を変える空の様子を眺めながらでもいいよ。それが叶ったら、私は泣いちゃうだろう。幸福すぎて泣いちゃうだろう。想像するだけでも涙が出るんだもの。そんな日は来ないって知ってるから、泣けるのかな。

 

あの、月の光に照らされた、ほの明るい草原を、見下ろすかのような出だしの旋律を聞いてるとね、祈るような気持ちになる。永遠のような歳月を、祈るように待ち続けるよ。

 

私の心の中にあなたがいる いついかなるときも

 

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❝You are every song❞  宇多田ヒカル 『道』

 

宇多田ヒカルのアルバム「Fantome」に収録されている『道』が大好きだ。

CMにも使われた明るめの曲なのに、何度聞いても何度歌っても泣かずにはいられない。

 

私の心の中にあなたがいる

いついかなるときも

ひとりで歩いたつもりの道でも

はじまりはあなただった

It's a lonely road

But I'm not alone

そんな気分

 

私の心の中にあなたがいる

いついかなるときも

ひとりで歩まねばならぬ道でも

きっとそこにあなたがいる

It's lonely road

You are every song

これは事実

 

痛みが増える度に

大好きな歌が増える

心を震わせずにはおられない

 

何を聞いても思い出す

あなたは手の届かない人になって

そしてあなたはすべての歌になった

希望と絶望がくり返し打ち寄せる

 

You are every song.

 

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うちのキツネ

薄闇に浮かび上がる大雪山とか、紫と橙がすばらしいグラデーションの夕焼けとか、そういう、その時にしか見られないものを写真に残すため(つまりこの2つは本当に素晴らしかったのにカメラ持ってなくて撮れなかった)、ようやく、カメラを車に積みっぱなしにする環境を整えた。といっても缶ジュース用の保冷バッグに入れただけだけど。

 

そしたら最初に現れた被写体はキツネちゃん。

出かけようと玄関を開けたらいたのだ。驚いて少し距離を取られたけど、逃げ去りはしない。私と距離を置いてうろうろしながら、地面に落ちている何かを何度もカリカリと食べている(去年の栗かな?)

私はとっさに車のスライドドアを開けてカメラを取り出した。ズームレンズつけたままにしててよかった!

 

ゆっくり追いかけながら撮ってたらほとんどブレたりピンとずれた…なんとか撮れたベストショットはこれ。

 

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これは多分威嚇してるわけではなくて、目が合った一瞬の図。

 

あとで父さんに聞いたら、「去年トウモロコシ全部食べたやつだろ」と。父さんも何度も会うようだ。「もう『コン』って名前がついてる」と笑う父に、「それ、キツネはみんなコンなんじゃ…」と私。

 

でもその日、旭川からの帰り道、家の少し手前で、すばやく去っていくキツネを発見し、体格が似てたから、「あれはきっとコンだ」とうっかり思ってしまう私。人のこと言えない。これから見るキツネはみんな「コン」と呼んじゃうかも…。

 

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希望を捨てきれない

 

いつ死んでも構わないけれど

 

今日も私の命に朝がきて

 

おひさまがちょうどいい温度でそこにあり

 

大地は裂けたりせず

 

未だ戦火は頭上に降ってこない

 

だから今日も生活をする

 

ただ淡々と。

 

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専門は栗の木です。

 

去年の早すぎる根雪で、家の周りの栗の木の枝がたくさん折れてしまいました。

 

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天気悪いとちょっと不気味だし、何よりちぎれかけた太い枝が頭の上に落ちてきそうで怖いので、地上に落とせるものから落として、のこぎりで約40cmほどに切っていきます。そう、薪づくりです。

 

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のこぎりで木を切るのって、何年ぶりだろう。記憶の中では、歯が切り口で引っかかってスムーズに切れなかったり、すぐ疲れてしまって、とにかくのこぎりは苦手という意識がありました。

でも不思議です。数年たった今、思い枝にどういう重力がかかっているのか、のこぎりをどう前後に動かしたらいいのか、まず頭でわかるのです。物理学とか拒絶反応を示すくらい苦手だと思ってたけど、日常的なことは、ちゃんと分かるようになっていたのかな。頭で想定する通りにそれを実践すれば、昔ほど切るのは難しくありませんでした。

 

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それどころか、筋力が足りなくて疲れはするけど、複雑にいろんな方向に伸びた枝を黙々と切り分けていくのはなんだか楽しい、と感じました。のこぎりで木を切るのが楽しいと思うなんて自分でもびっくり。疲れすら心地いいし、これでへっぽこな私の腕力や握力が少しでも向上すればなお嬉しい。

 

写真のように、まだこれっぽっちだけど、コツコツコツコツ、折れた枝を切り分けていって、薪の山をつくるのは達成感あるだろうな。なんといったって、大事な燃料になるわけだし。これぞ「仕事」だ!!

 

そういうことで、家で木を切る仕事をしています。専門は、栗の木です(笑)