焼け野が原が見える
「焼け野が原」っていうのは、戦争や原爆投下で焼き尽くされて、生命が存在しえないほど傷ついた大地のことを言うのだろうけれど、きっと「希望が最後のひとつまで途絶えた世界」の比喩でもあって。
人によって「焼け野が原」が指す世界は違うだろう。
焼け野が原を生み出す絶望。
焼け野が原に芽生える希望。
あなたの焼け野が原はどんな世界?
あなたを生かす希望はなあに。
私が見ている焼け野が原があなたにわかる?
ねぇ言って ちゃんと言って
私に聞こえるように大きな声で
もう泣かないでいいように
目の前であなたは やさしく笑ってみせるけど
動けないのは あなただけじゃない
だから抱いて ちゃんと抱いて
この体に残るように強い力で
もう泣かないでいいように
どこまでも行けるような気がしてた
でも寒くて とても寒くて歩けないよ
・
私が消えれば楽になるんでしょう?
じゃなきゃ言って ちゃんと言って
聞こえないふりをしないで
ここに居たいの 私は側に居るのよ
聞いて ちゃんと聞いて
言葉にもならないのに
すべて欲しくなってしまう 無様な火傷
♪「焼け野が原」 by Cocco
書く理由
牛乳を配達して、帰ってきたら畑仕事をして、土まみれになってお風呂で洗い流して、晩ご飯を作って食べる。そんな流れの中でパソコンの前にゆっくり腰を落ち着ける気にならず、最近はあまり書けていなかったけれど。
でも私には大事な「書く理由」があることを思い出した。
あなたは私に何の言葉もかけない。私はあなたの気持ちを知ることはできない。
でも私が日々どんなふうに生活しているか、あなたに伝え続けることはできる。
くだらないことでも書く。しょうもないことでも、自己満足でも、自己憐憫でも。
私が吐き出す意味不明な言葉たちにブログを読んでくれている誰が離れていっても、私はこの糸を途絶えさせるわけにはいかないんだ。
おやすみなさい。明日は雨の予報です。晴れが続かなくて困っています。あなたの街はどうですか。
強く儚い私たち
TSUTAYAでたまたま最近出たCoccoの20周年ベストアルバムを見つけて、恥ずかしながらCoccoのもっとも有名だという「強く儚い者たち」をちゃんと聞いた。
なんて、なんて、身も蓋もないほど残酷で、美しくやさしい歌詞なんだろう。
私はこの曲を流しながら歌詞カードを握りしめて、ポカンと聞き入ってしまった。
だけど飛魚のアーチをくぐって
宝島が見えるころ
何も失わずに
同じでいられると思う?
人は弱いものよ
とても弱いものよ
何のために生きればいいのか迷う。
家族のため? 自分のため? この美しい自然に溶け込むようにひっそりと?
(家族のために生きたって全然いいと思う、と言ってくれた人がいたなぁ)
思い込んで、信じ込んで、これがあなたのためだって。
愛するあなたのために私は心を削って尊い選択をしてきたのだって。
ふと気が付いた時にはそれは全然見当違いで、
意に沿わない方向に流されていたなんて。
そんなことがきっとあるんだよね。
見つけた!と思ったものが実は違っていても簡単に認められない弱い私たち。
望んでいたのと違う方向に流されていたならあきらめきれずに漕ぎなおす強い私たち。
今年も大切な梅仕事
去年は北海道産の梅を、梅干しと、梅シロップと、梅酒にしました。
今年は、父のご縁で、徳島産の若干こぶりな無農薬の梅を購入して、加工しましたよ。
去年は初めて一人で漬けて、色々手間取ったけど今年は落ち着いてできました。
↑水につけると細かな毛が水をはじいて銀色に光るのがきれい…
↑塩は「カンホアの塩」というもの。まろやかなお塩です。
↑あっという間に9キロ。最高30度予想の日で、午前中から室内も暑かった…
↑残った梅はシロップと梅酒に。今年はこのビンが2つずつできました。
まだ去年つけたものが残っているので、今年のが漬かるのをのんびり待ちたいと思います…^ ^
バジルの芽に卒倒寸前
6月になっても、生育の悪い作物や、突如食べたい!と思いたった野菜の種を撒いています(寒い北海道、いまだ朝は気温1ケタ…)
畑仕事のワクワクする瞬間のひとつが、間違いなく「発芽」です。
土を乾かさないように管理して、数日後にやっと芽が出た時の喜びと、その姿の愛らしさと言ったら…
なかでも、なぜかバジルの芽はかわいすぎて身もだえするレベルです。
なんでしょう、このちまっとした緑の羽根のような芽。なんだか、このままパタパタ羽ばたいてお空に飛んでゆきそう…。
もし、この芽に人格があったなら、私はそのかわいさゆえになすすべもなくひれ伏すでしょう。「乾いてきたから水をよこせ」だの「寒いから暖かくしろ」だの言われたら「ははーっ!」手をついてお言葉に従います。何言ってんだ私。
バジルの芽とイヌネコの赤ちゃんとつるっとした頭の弟には弱い私です。
(ちなみに青シソの芽もバジルに似てかわいいです)
月の光、雨上がり
車に荷物を取りに外に出たら、草木の影が道に落ちていて
見上げれば満月が…
ふと思い立って、車のステレオに刺していたUSBからドビュッシーの「月の光」を流した。ずっとこうしてみたいと思っていたことがふいに叶った。
冴え冴えとした白い光。
月の光は、何物にも執着しない、さらっとした光だと思う。
熱くも冷たくもない。
厳しくも優しくもなく、すべての人をささやかに照らしてくれる。
夜空の半分以上を、ざっくりとしたうろこ雲のような雲が覆っていた。大雨を降らした雨雲が去っていくところなのだ。そのうろこの間から、星々までが垣間見えている。
草木の葉の先についた雨粒が、月の明かりに光っている。
湿度が高まって、昼間以上に緑の匂いが濃い。
月の光、明るくも暗くもないピアノ、雨の匂い、緑の匂い。
時に鳥の羽音。
今日もここは美しい夜だ。
同じ月の下にいるあなたへ。おやすみなさい。