キタキツネとの親交 ~井上浩輝著『北国からの手紙 キタキツネが教えてくれたこと』
先月発売されたばかりの『北国からの手紙 キタキツネが教えてくれたこと』を本屋さんでたまたま見つけ、私は衝動的に手にとって数ページ読み、すぐにレジへと持って行きました(なるべくKindleにしようと思っているのにやっぱり紙の本も増えていきます)。軽く立ち読みするだけでもう動物たちの愛くるしく人間のように豊かな表情に笑みがこぼれ、幸せな気持ちになる、そんな写真たっぷりの井上浩輝さんのフォトエッセイです。
井上浩輝さんといえば、ナショナルジオグラフィック2016年国際フォトコンテスト・ネイチャー部門で1位を獲得し、テレビ番組「情熱大陸」でもとりあげられたカメラマンで、ピンクの空の下、雪原を駆けるキタキツネの写真がとても有名になりました。
井上さんの写真は、オフィシャルサイトやフェイスブック、すでに発売されている写真集「follow me」でたっぷり見ることができるのでぜひ見てみてください。
けれどもこの本は写真だけでなく、北海道の野生動物にカメラを向ける井上さんのまるで恋するような動物たちへの想い、謙虚な気持ち、そして厳しくも美しく、そして微笑ましくもある動物たちの生態や生き様までも見せてくれる文章がたっぷりなのです。
北海道の自然豊かなエリアに住む人たちにはとても馴染み深い動物たちが盛りだくさんで、私にとっても、畑仕事中に出会うキタキツネや、夜の帰り道に目を光らせるエゾシカ、タヌキ、そして時々町の防災無線で目撃情報が流れる緊張させられるヒグマなど、接点のある動物たちの生態や生活習慣を知ることができて興味深いです。
何より、井上さんの文章には、同じ動物に出会っていながら気づけていなかったことをたくさん教えてくれる、ハッとさせられるものがあるのです。
私たち人間は、この本に登場する動物たちと同じ陸の上に住みながら、ふだんはなんとなく動物たちとは隔離されたエリアに住んでいるような気持ちになります。運転中や屋外の仕事中、野生動物たちを見かけることはあっても、どこか、私たちの世界と動物たちの世界は交わらないような気がしている。
けれど井上さんがヒグマを目撃して緊張が走った時のことを、「必死に息を殺す僕自身も、まさに動物そのものでした」と書いています。人間だって、もし生身の状態で、自分を襲うかもしれない(そして生身ならばまず勝ち目のない)生き物に出会ったら、夢中で衝突を避ける方法を探し実行するでしょう。ヒグマに気づかれないようとっさに息を殺した井上さんのように。危険を察知して無我夢中で気配を消す、そんな人間も間違いなくヒグマと同じ立場の動物なのだと、気づかされました。
井上さんは、風景写真を撮るうちに、神出鬼没で賢いキタキツネの魅力の虜になったというのは彼の写真を好きな人にとっては有名な話です。井上さんは長い長い時間キタキツネを見つめ続けることで、知床と東川のキタキツネの顔の違い、その賢さ、人間のように様々な性格の違いがあること、そして人間とキタキツネの距離についてなど、様々なことに気づき、思いを巡らせます。キタキツネをつかず離れずの距離で見つめ続けた井上さんは、一匹一匹を別の個体として見分けられ、本の中では「一匹のオスのキタキツネと知り合いました」とキタキツネのことを擬人化までしています。時に「顔見知りになった」キタキツネと、停めてあった車を使ってかくれんぼの遊びまでしたという話に、いかに井上さんがキタキツネに親しみと敬意を抱き、彼らに温かい目を注いでいるかが伝わってきます。
秋、井上さんが知床でキタキツネの狩りの様子を撮影したときの話には思わず読みながら「へー!」と声を上げてしまいました。キタキツネは、少し距離を置いてついてくる井上さんを認識しているものの、知床のキツネは人間慣れしているため逃げはしません。そのキタキツネが獲物を捕りそこなったときはなるべく見ないようにしてあげ、狩りに成功すると大げさに拍手をして褒めたたえる、というリアクションを続けていると、キタキツネはすぐにその法則を理解し、獲物が取れた時には得意げに井上さんの前で獲物を食べたりもてあそんだりするというのです。井上さんとキタキツネの交流の様子は、読んでいて本当に楽しいのです。
もっとご紹介したい場面はたくさんありますが、あとはぜひ手に取って読んでみていただきたいなーと思います。父や母にも、読んでもらおうと思っています。これから、また畑でキタキツネに会うのが本当に楽しみになりました。
(ブログは書いていませんが、私も日々畑では作物や植物を見つめています笑)
劇団四季『ライオンキング』を見て
北海道の四季劇場で、2018年5月27日、1年以上のロングラン公演『ライオンキング』が千秋楽を迎えるということで、終わりも近い23日(水)に観劇に行った。ミュージカルというものを生で見るのは、初めての体験だった(今年の1月頃、消えてしまいたいという気持ちが頂点に達した時、どうせ死ぬならまだ体験してないものを体験してみようと思って、何カ月も先のチケットを取ったのだった)。
ディズニーアニメの『ライオンキング』は大好きだし、子どものころ、ディズニーアニメの歌唱シーンばかり集めたビデオを何回も見て一緒に歌っていたし、大人になってからも『ラ・ラ・ランド』にはまったり、『メリー・ポピンズ』や『美女と野獣』のサントラを聞き続けていて、たぶんミュージカルの『ライオンキング』を見ても、きっと自分は大きく心を揺さぶられるタイプの人間だろうと分かっていた。帰ってきたら、アニメを見返し、サントラを延々聞きまくる日々になるだろうと。大げさじゃなく。
そしたら、本当にそうなった…(笑)
『ライオンキング』はあの有名なシーン、プライドロックのライオンの王ムファサに王子が生まれ、お披露目の式で王国中の動物が集まり祝福をするところから始まる。いきなりの見せ場だ。舞台いっぱいに巨大な真っ赤な太陽が昇り、様々な動物たちが、それぞれの歩みで集まってくる。躍動感と喜びにあふれる音楽とともに…それはとにかく盛り上がる賑やかで楽しい場面なのに、いきなり私は泣いた。
あの時の気持ちを言葉にするのは本当に難しい。世界観に引き込まれたとか、雰囲気に呑まれたというのとはちょっと違って、たぶん、私はいきなり、あの舞台をつくる人たちの、火傷しそうなほどの情熱に触れて、それに呼応するように、自然に涙があふれていた。小さい子が、怖くなくてもびっくりしただけで泣いてしまう感じにも似ていたかもしれない。心の底から、私はびっくりした。人間は、ほんとうにもう、人間というものは、なんというものをつくってしまうのだろう…!
2本足で立つ人間が、パペットを操ったり、かぶり物をかぶって、動物を演じる…それはすばらしい演技力ゆえに「動物にしか見えない」というわけではなく(演じる俳優の姿も顔もしっかり見える)、「パペットやかぶり物+俳優」で一体のキャラクターになっている…そういうかんじだった。でもやっぱりキャラクターは「人間」ではない。生きることに喜びを感じそれを全身で表現する野生の動物たちなのだ。
オープニングで多くの観客はきっと、セリフでも、ストーリーでもなく、王子シンバの誕生や祝福する野生動物たちの躍動感あふれる姿、喜びにあふれた音楽、腹の底から突き上げるようなコーラスで、この物語のテーマを一瞬で理解できる気がする。自分の食べ物を狩ることもなければ、土に還り自然の循環に加わることもない私たちが、忘れかけていること…それは「生命のくりかえす繋がり(circle of life)」。
私は、初めて会った(と言えるのか?)劇団四季のキャストたちを、舞台監督や照明や音楽や案内のスタッフたちを、そのオープニングの瞬間、心の底から尊敬し、愛していた。たかが開幕数分で、愛おしさがこみあげていた。たぶん、劇団四季というものを通して、彼らの舞台を通して、地球上に生きる生命や、人間というものに対しての愛おしさを、私は抱かずにいられなかった。
こんなすばらしいものをつくってしまう人間は、もしかしたらまだ捨てたものではないのかも…と。そう思わせてくれるすばらしい舞台だった。本当に。
生の舞台のすてきなところのひとつが、エンディングのあとにカーテンコールがあることだ。物語の中で死んでしまったキャラクターも、怖かった悪役も、笑顔で手を振ってくれる。精一杯演じきった俳優たちの晴れやかな笑顔を見れて、私たち観客はもうとってもうれしい。物語とはまた別のところで、劇場が喜びに満ちあふれる。私が観劇した日は千秋楽の数日前だったからか、幕が下りてはまた上がって、俳優たちが手を振ってくれて、その度に帰ろうとした観客は大喜びで手を振り返す―というのを10回くらい繰り返した。何度も見に来ているようなファンは、後ろの席からどんどんステージ下まで俳優たちに近寄って行っていた。私も、客席の背後から駆け下りてきたシンバとナラの手にタッチすることができた(通路のすぐ横の席だったので、それ以外にも、客席後ろからノシノシ歩いてくるゾウを間近で見れたりした!)。カーテンコールのあの空気を感じることができて、本当に幸せだったなあ。
こうやってすばらしい芸術に触れると、いろいろなものに感謝せずにはいられない。
『ライオンキング』という名作を生みだしたディズニー製作スタッフ(アニメDVDの特典映像によると、やはり動物しか登場しないアニメーションが世間にどこまで受け入れられるか、不安もありながらの製作だったようだ。けれど素晴らしい物語に共鳴して、私でも知っているようなエルドン・ジョンやハンス・ジマーなど豪華なスタッフにも恵まれて『ライオンキング』は世に送り出されたのだ)。
アフリカのサバンナの世界観、キャラクターがすべて動物ということ、セリフに含まれるアフリカのズールー語…日本人にはハードルが高かっただろうに、アメリカのブロードウェイ上演ののち、わずか1年前後で日本でも上演を果たした劇団四季のチャレンジにも頭が下がる。
そして20年もの間、愛され続けて前代未聞のロングランを続けてきた劇団四季のキャストやスタッフの皆さんに本当に感謝だ。私がこの春こんな感動を味わえたのは、彼らの長年のたゆまぬ努力のおかげなのだ。そして私同様、『ライオンキング』に大きな感動をもらって四季の舞台を愛し続けてきた観客のおかげでもあるのかな…きっと。私も機会あるごとに見に行って、微力ながらファンとして彼らを支えたいと思いました。
さて、だんだん暑くなってきた北海道ですが、『ライオンキング』のミュージカル版のサントラ聞きながら畑仕事がむばりまする。
やさいに懺悔
最近、「暮らし上手の○○」というシリーズの本を図書館で借りてずっと読んでいる。
たとえば、
・暮らし上手のワードローブ
・暮らし上手のお弁当
・暮らし上手のパンとスープ
・暮らし上手のおうちごはん
などなど。おもに料理のレシピばかり熟読しているのだけど、とにかく「野菜にそんな取り合わせもありなのね!」「これは試したい!」と思わせるものが多い工夫にあふれたアイディアが満載のシリーズで、とても楽しいのだ。手帳代わりに使っているノートに、レシピのメモがどんどんたまっていく。
一方、畑ではだんだんと野菜が育ち始めている。すでに収穫しているのは菜っぱ類と成長の早いカブくらいだが、もうすぐなのは、キュウリやエンドウ。そして待ち遠しいトマトやナス、シソ、ピーマン、ササギ、カボチャ、枝豆、ニンジン、トウモロコシ…と続いていく。
とうとう仕事をひとつに絞って、1日のほとんどを家や畑で過ごしているので、人生でたぶんもっとも、料理をする時間ができた今、日々野菜たちに詫び悔いている。
「今まで、いっつもおんなじ食べ方ばかりで、君たちの良さを活かしきれていなくてすまなかったね…(:_;)」
「今年はもっと大事に食べるからね…だから早く大きくおなり」←そこかい
これは今日のお昼につくったカブとまびきダイコンとミズナのサラダ~
ボウルの水滴ぐらい拭きなさいよってね。
あの人は気が付いていたのかも 『Tiny Dancer』 by Chara『Sympathy』
「きっとバレてないはず」と思ったことは、「いや、きっとバレてる」と思いなおすようにしている。
あの同僚も、あの友達も、父親も、もう会えない遠くのあの人も。
ずる賢いはずの私のいやしい気持ちも、本当の欲望も、きっとバレてる。
そう考えれば、ずるく立ち回る自分の愚かさを、卑怯さを認めて、もっと謙虚になれる。隠し通したつもりのあの人は、少なくとも私より賢いはずだもの。
Charaの『Tiny Dancer』と、収録されているアルバム『Sympathy』が本当にすばらしい。どこまでも清々しいほどに明るく切ない。
私が置いていく物は
小さな態度
心を揺らしてしまえ
置いてきたわ
あなたへの気持ち
傷つく事を 曖昧にして
全て残さず踊りきったダンサーみたいに
あなたは想い出にしていくの
あの人は気が付いていたのかも
愛した事は真実
あの人は気が付いていたのかも
愛した事は真実
あの人は気が付いていたのかも
愛した事は真実
from 『Tiny Dancer』 by Chara『Sympathy』
どんな思想が、価値観が、育った環境が、真実を覆い隠そうとしても
きっと気が付いているよね
愛した事は真実
部屋に世界地図をはってみると
昨日、折りたたまれている状態で売っていた一枚の(本の形ではない)世界地図を買ってきた。サイズで言うとA0かな。
パソコンや本棚のある机のすぐ右横の壁に貼る。世界地図って、なんでこう、ずっと見ていられるんだろう。
買ってよかった。ほんとによかった。A4より小さいサイズに折りたたまれた地図を広げて、最初に眺めた時に、頭に浮かんでは消えた思いや考えを、せっかくだから箇条書きしてみようと思う。
・日本ってこんなに頭でっかちなカタチなのか!(本州を胴体、北海道を頭とすると、頭、でかい!)
・来年は九州を巡ろうと思っていたけど、北海道に比べりゃ、ナンダ小さい小さい!余裕余裕!笑
・石垣島と台湾は見事に緯度が同じ。
・映画「Into The Wild」の原作「荒野へ」(ジョン・クラカワー)を読んでいるので、どうしても目はアラスカのフェアバンクスへ向く。
・ニュージーランドってインドネシアあたりにあると思ってた…意外と寒そう
・ブエノスアイレスってロシアの都市だと思ってた(響き的に)
・カナダの北東側は大きな島がたくさんあるけど、グリーンランドと同じ緯度だし永久凍土なのかなあ
・アメリカもカナダもロシアも、こんなに大きな大陸をどうやって統治・管理してるんだろう…
・青森とニューヨークの緯度がほぼ同じなんや!
・日本って、ほんとうに、ちいさくって、危うい位置にあるんだなあ…(日本を中心に描いた世界地図だからそう感じるのかもしれないけど。ヨーロッパやアメリカから見たら日本は世界の端っこ?)
今まで、世界に対して興味が薄かったから、だいたい無知からくる驚きばっかりなんだけど。
やっぱり一番驚きなのは、「私が、世界地図を見て、行ってみたくてウズウズしてること」!
つい数か月前までは考えられなかったことなのだ。
世界に目を向けている人は、たとえ親が旅行好きじゃなくても、自分の力で10代や20代前半から海外に行っているわけで、出遅れたかのような焦りはあるにはあるんだけど、実際は「そんなのかんけーねー!」わけで。
やっと興味を持てた今がスタート。自分にそう言い聞かせて、世界一周や海外旅行の紀行などを読みながら、旅立つはずの来年に向けて、モチベーションを高めるのである!
北海道を旅立つときは、この地図を再び折りたたんで持って行きたい。
自分だけの「語る言葉」を持ちたい
今年に入って、私が3つの仕事のうち2つをやめて、農作業や日々の生活に集中する時間を作ったり、冬になったら北海道を出て色んな土地で暮らしてみたいのは、一言で言うと、「語る言葉」を持ちたいからなんだと思う。
続きを読む