そうとうなギャップが生まれてきた!? ~求める暮らし方について
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思案中のことなので、わかってきたことや腑に落ちた点などを次々投稿していくと思われますが。
今日は求める暮らし方について書いてみたいと思います。
ここでいう「求める暮らし方」というのは、収入の得方、衣食住、
プライベートの時間の過ごし方、家族との過ごし方など、
人生におけるあらゆる要素の理想をさすことにします。
あなたとっての理想の暮らしは? それはどうやって手に入れるもの?
まず問いを投げかけてみたいのが、あなたにとって「理想の暮らし方」とはなんですか?ということ。
そして、その暮らしは日常の中で叶えるものですか、
それとも色々なことを我慢して苦労して人生の終盤に入れるものですか、ということ。
う~ん、この2つめのと問いって、くだらないと言えばくだらないですよね。
もちろん求めるものによって、すぐ叶えられる暮らし方と、そうでないものとあると思います。
人生に優先するものが変わった
私が提案したいというか、私も含めこういう若者が増えてるんじゃないか、と思うのは、
「心穏やかにいられる暮らし」とか、
「趣味の時間、家族や仲間と過ごす時間をしっかりとれる暮らし」
が最優先され、
「定職に就くこと」「お金を得ること」「社会人として立派に稼ぐこと」
は二の次というか、
前者が達成できる範囲でかまわないという優先順位のおき方、価値観が、
ここ10年くらいの若者の中に一定数存在するんじゃないかということです。
いえ、前者が達成できる範囲で、という控えめなものではなく、
前者を逸脱する選択肢は選ばない、という実は(ある意味臆病で)頑固なものかもしれません。
過去の記事「とりあえず」なんて言わないでよ~わたしの“今”の選び方では熱くなって書いてしまいましたが、
こちらの記事をもう少し噛み砕いて一般論的に述べると、
こういうことなのです。
つまり最初の2つめの問いにおいて、最近の私を含めた若者の傾向として、
求める暮らしはプライベートの時間の少ない長い長い就労期間を経て得るものではなく、
日常的に実現したい、つまりプライオリティーの一番目にくるものなのです。
ですから、プライオリティーの一番目にくるものに照準を合わせて、
仕事・収入など2番目、3番目のことを設定(選択)していくのです。
結果的に、仕事の充実感・達成感とか、給料の金額、昇進などは二の次になるわけです。
また、なぜ若者の価値観がそのように変わってきているのかという答えには、
格差が広がってるとはいえ、多くの人が中流の生活を送る中でそれ以上を求めなくなったことや、
あらゆるストレスに耐え続けて働いたあげく体や心を壊して、
ささやかな生活の楽しみも失ってしまった大人や仲間、あるいは親などを見てきてしまった、
などがあげられるかもしれません。
これについてはまた後の記事で書きたいと思います。
仕事に追われ過ぎることなく衣食住を大切にし、趣味や身近な人との時間を優先する暮らし方。
それを選んだ結果、彼らの仕事の質はそれぞれだと思いますが、
上司に今の若者は気概がないとか、欲や向上心がないと言われてしまうことも多いようです。
(私はまだ言われたことはありませんが、旭川にもそのような悩みを抱えた経営者が多いと耳にしました)
価値を置くものが異なってきていることを理解した上でなければ
いつまでもコミュニケーションは成り立たない
私のブログに何度も登場するプロブロガーのイケダハヤトさんは、新刊「新世代努力論」において、
『「努力すれば報われる」という考え方は、高度経済成長期、バブル時代の
上りエスカレーターに乗っていた世代に特有の考え方です。
「ボーナス状態」だったわけですから、そりゃ努力が報われる可能性も高いはずです。
がんばればがんばるほど経済的に豊かになり、それにより精神的にも豊かになる、
というサイクルが成り立ちやすかったのです。
今ぼくたちが生きているのは、経済も人口も停滞・縮小を迎えている時代です。
そういう下りのエスカレーターの時代においては、「努力すれば報われる」とはかぎりません。
むしろ「努力したが全く成果が出ず、心身の健康を害しただけだった」
という帰結に陥る可能性のほうが高いでしょう』
と語っています。
このことにおいてイケダさんは、
『この価値観の差異は、世代間のコミュニケーションにおける、最も根本的で巨大な障害になっています』
と言っています。
引用は努力論の話ですが、人生においてのプライオリティーの置き方についても同じことが言えると思います。
私も最近に限らず福島原発の事故後くらいから、この価値観のギャップというのは、
はっきり認識しないまでも感じていたのだと思います。
そのギャップは特に年長者と若い新入社員がいる会社において弊害を起こすのだと思います。
当然ですが、どちらの価値観が良いとか悪いとか、
「最近の若者は~」と言われる言い訳にしたいわけでもありません。
ただそもそも、団塊世代から団塊ジュニア世代くらいまでの皆さんと、
人生において価値を置くものがそうとう違ってきてるかもしれない、ということを知っていただきたいのです。
それを理解した上でなければ、若者との意思疎通の第一歩に立つことができなくなるかもしれません。
最初は珍しいものや見たことのないもの、理解できないもの、異なる文化がはじかれてしまうように、
いまはまだ一定数現れ始めた価値観の違う若者と軋轢が生じているだけで、
そのうちこのギャップ感も埋められていくのかもしれませんが。
価値観のどちらが善でどちらが悪だ、という話ではありませんが、
ただ少なくとも、多くを求めなくなったことはこの時代において必然的というか、
十分起こりえることだとは思います。
まだまだ熟考が足りてないことだとは思うので、
このようなテーマについてはまた書いていくとは思います~
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