私が教育大を退学するまで

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これは私個人の、「退学を選択する」までの、大半の人にとってはどうでもよいストーリーです。大学(私の場合は教育大学)の休学や退学を考えている人、大学に入ったもののモチベーションがわかない人、そもそも進学したい大学や学びたいことが分からない人、の、参考にでもなればと思います。

最初の方はけっこうどうでもよいことを書いてるので、③または④くらいから読んでもらったほうがいいかも!

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①やりたいことがないからといって大学に行かない勇気もなかった

人生でいちばん必死に勉強した、できるようになっていくのがおもしろくてたまらなかった、という時期は中学時代の、高校受験勉強。体重が落ちるほど勉強したなんていうのは、後にも先にもあのときだけ。確かな手ごたえを感じて入学した旭川の進学校では、最高の青春時代(と私は思っている)を送ることができたものの、卒業後にやりたいと思えることを私は結局見つけられませんでした。

だから、教育大に進学したのは、決して教師になりたかったからでも保母さんになりたかったからでもありません。

簡単に言えば経済的事情と、地元を離れて必死に生活費を稼いでまで学びたいことがなかったこと、そしてそれでもみんなが行く大学に行かない勇気もなかったことが、結果的に教育大に進学した理由になります。

②教育大での学びに全く興味を持てなかった

とりあえず「大学生」という身分を得て、「教育史」とか「教育課程と教育方法」なんて授業を受け始めたのだけれど、これがちっともおもしろいとは思えませんでした(それはもちろん私が関心を持てなかったというのもあるし、教授の力量の問題もあったのだと思います)。

私が進学した教育大は1年生から所属するゼミを決めて、「教育」の中でも少し細かい分野に分かれて勉強するのですが、私が選んだのは「幼児教育ゼミ」。

その理由は、「保育園児のころ保母さんになりたかったから!」

ほんとにどうしようもない選択ですが、でもそのときの自分には苦し紛れの選択、そうすることしかできませんでした。

③そして公務員じたいになりたくなくなっていった

3年生になろうというときに福島第一原発事故が起きて、たとえば「国家」とか「国益」とか「公共の利益」、「愛国心」という言葉の裏に潜む怖さに気づき始めてから、国の意図、方針に沿って働く公務員には絶対になりたくないと思うようになりました。第二次大戦時を描いた物語でよくある「お国のために…」を、教師という仕事は子どもに向かって口にしなければいけない仕事だと、そのとき思ったからです。

これはとても乱暴で極端すぎるとらえ方…かもしれませんし、教師であっても大戦時に「お国のために死ぬことなんてない、逃げなさい」と言った勇気ある教師もいたでしょう。でもとにかく「国の方針に従う仕組みの中で働くのはまっぴら」と思ったのです。それに、教師になっていった人たちは、そんなこと考えもしなかった人がかなりいると感じています。そういう時代が来たら、彼らは教師としてどんな行動をとるのだろう、と気になります。

④「社会の中の自分」を感じられて初めて自分の人生を生きてると思った

原発問題を学んだり、複数の大学の学生でまちづくりイベントなどをする団体での活動を始めると、地域の人たちと出会える機会に恵まれて、初めて地元への愛着が芽生えていきました。もともとイベントの企画や裏方をやるのが好きだったし、視野が広く向上心があり、多様な価値観を持った他校の学生と関わることがとてもおもしろいと感じました。また、地域の人々とつながり助け合う中で、社会の中にある自分というものを感じられるようになり、しだいに自分がどういうことで人の役に立てるかが分かって行ったのかもしれません。

大学で興味もない授業を受け、ありあまる時間に情熱を燃やせることも見つからなかった私は、(全ては自分で選択をしてきた結果なのだけれど)自分の人生を主体的に選び取って生きている実感がたぶんなかったのだと思います。

それが、地域の人たちとの関わりを持つことで、他者を鏡に自分が見えるようになり、自分の心が何を求めているのかも漠然とですが分かり始めるようになりました。

そして家族の石垣島への移住などをきっかけに大学4年の春から休学することにしました旭川市内でのひとり暮らしが始まったり、市民活動交流センターで働き始めたり、新たなイベント運営に携わったり…学生の身分を持ちながら、社会人としての生活が始まったのです。

⑤何をするか、よりどう働くか

社会人としての生活が始まったものの、大学生活を恋しいとはこれっぽっちも思いませんでした。新人にも色んな企画や提案をさせてくれて、自分のアンテナや人脈をいかせる職場はおもしろく、仕事以外の活動も充実して、知り合いの幅はどんどん広がり、自分のできることも増えていきました。もう教育大で勉強していたなんてことはどんどん頭の中から消えていきました…

でも相変わらず自分が本当に情熱を持ってやりたいことはまだ見つかっていませんでした。そんな中、米田智彦著の「僕らの時代のライフデザイン」を読んでから、「何をするか」は分からないまでも「どう働きたいか」が少しずつわかってきたのです。

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私にとっては、何でお金を得るかより、お金を得る「仕事」であってもお金を生まない「遊び」や「活動」であっても、それらで構成される1日の時間を、自分のスケジュールを、自らコントロールすることのほうが重要だったのです。たぶん私は意に沿わないことに拘束されるのが、安定した給料をもらえないこと以上に、嫌だったんだと思います。

石垣島にいる家族にいつでも会いに行けるようになりたかったことも大きな理由です。私は場所を選ばず、長時間特定の場所や組織に拘束されず、かつ1つの収入源に絞らない働き方をしたいと思うようになりました。この条件だと、教師はおろか、民間企業の社員もほぼアウトですよね。

(具体的には過去の記事に譲ります…

⑥「いつか」のために、心が向かないことに我慢して時間を費やせなかった

⑤で述べた働き方を求めるようになったのはここ1年ほどのことです。そしてその1年の間に休学できる3年間という期間の終わりが来て、私は教育大学に退学届けを出しました

退学の一大決心をしたというより、「戻る理由がひとつも見つからないまま3年があっという間に過ぎた」という感覚です。

95パーセントの人は私の行動を「モッタイナイ」と言いました。95パーセントの人が言うのだから、「モッタイナイ」のかもしれません。でも私にとって「もったいない」のは、我慢して少しも興味の持てないことに費やす時間です。

教師になりたくないのに教育大を卒業するとしたらそれは、「大学卒業という最終学歴」と、「教員免許」に価値を見出し、そのために使う1年間ですよね。

私はそもそも企業の正社員になりたくないと思っているので、学歴は全く必要なものではありません。大卒を必須条件にしていない求人も増えています。私のことを高卒だからと相手にしない人が現れるでしょうか。それでも全くかまいません。お互いに求めている人間ではなかったというだけのことです。

私はこれだけ地震が頻発している日本に原発がある以上、常にいつ爆発するか分からない時限爆弾を抱えている気分だし、原発以外にもその感覚を忘れさせてくれない事象は世界中にたくさんあります。明日、いや今日にでも自分の命が終わる可能性を日常的に認識しています。

だから、目標があってそれに向かってたくさんの時間やお金をかけて勉強するならまだしも、興味もないことに時間とお金を費やすなんて狂気の沙汰としか思えないのです。たかがあと1年間我慢すればいいだけと思うかもしれませんが、すでに300万円積みあがった奨学金という借金をさらに増やしてまで(しかも学生でなくなったら、こんなにもお金がかかるなんて肝心なことを学校は教えてくれなかった!)、おもしろくもない90分の授業を聞き続ける価値が、大学という場所にはもうないのです。

大学という場所で得たものは、友人と、旭川という社会に出て行くきっかけ、そして原発を初めとする社会問題や、自分自身について考えるたくさんの自由な時間、くらいなものでした。もちろん私の意識や態度がちがえば吸収できるものはもっとあったでしょう。でも心惹かれないのだから仕方ありません。

選択を重ねて今ここにあることに納得している

嫌なことも面白くないことも我慢してそこで必死で踏ん張っている人の目には、私はどう映るでしょうか。

「いつか職に困ったときのために」「いつか先生になってみたくなったときのために」「入りたい会社の募集用件が『大卒』であったときのために」「大学という学歴で信頼を得るために」堅実に単位をとり教育実習に行き、教員免許を取得していたら?

あるいは高校時代に、やりたいことはなくてももっと上の大学を目指して、「近場」ではない総合大学なんかで勉強していたら?

今とは違う道を歩んでいた場合の人生のことを、ごくたまには考えてみもしますが、無意味です。

そのときそのときの状況で、もっとも自分に正直に選んできた、それが私の選択のしかたです。

だから、もっとこう変えていきたい、という部分はもちろんたくさんあるけれど、自分の心と行動のズレがあまりないからストレスも少ないし、いつでも前向きでいられます。安定に対するこだわりが少ない分、精神的に安定しているし、幸福感も強いのだと感じています。

自分の考え方は間違っていたとか、考え方が変わったという日が来るかもしれません。でもそれは何か今まで感じなかったことを自分の心で実感したときです。

楽しい、おもしろい、ためになる!と思うから学ぶんだと思う

海外は知らないけれど少なくとも日本において、私には進学する大学を選ぶことも、願書を出すことも、まるで結婚を決意するみたいな覚悟や決意がいることに思えます(結婚したことないけれど)。その大学に入るためにたくさん参考書を買って塾にも通って必死で勉強して、高額な入学金や授業料も払ってきていれば、簡単には学校を変えられないしやめられません。まるで結婚指輪や結婚式や新婚旅行や家にお金をかけてきて、場合には子どもまでいて、ものすごく労力と決断力の必要な離婚みたいに。

だけど、人の興味関心や、勉強したいことなんて、出会いや体験を重ねていくうちにどんどん変わっていくもの。1つの大学を選び入学することは、軌道修正しづらいリスクのようにすら思えます。

もっと学校での学びを気軽に始められたらいいし、柔軟な選択肢が用意されていたらいいですよね。そもそも、高校で学んだら次は大学で学ぶ、という至極当たり前のような進み方すら、もはや覆されていくべきかもしれません。

晴れて純粋な(学生の身分を併せ持たない)社会人になりました。自分の理想とする働き方に向かって行動するのはとてもおもしろいです。今は場所にとらわれ、一定時間拘束されて働いていますが(それでも自分ではよい仕事に就けていると思っています)、徐々に自分でスケジュールをコントロールできる割合を増やしていきたいと思っています。

その事業の一つが「ちょっぴり広報支援。」byあさはなです。

今日もありがとう。