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道草閑談第2号 -父との初めての”二人暮らし”と、青大豆の話-

4人兄弟の長女であることを伝えると、「確かにしっかりしてるもんね」とか「落ち着いてるよね」とか言われる私にも、「姉」になった瞬間が確かにありました、あったみたいです。

自分の事でありながら、どこか可笑しく、そして葛藤が生まれた瞬間の私を見つめる父のまなざしも、面白い。


「青大豆」の話を読んで、私はとある人と暮らしたとき、一カ月にかかった食費を伝えたら、「エンゲル係数が高い」と怒られたことを思い出した。その人は食に関わる仕事をしている。今思うとあの発言は、自分の商品の価値を自ら下げていたんだな、と気づく。

私はエンゲル係数が高いことを誇りに思いたい。でもお金で買う「食べ物」は、なるべく、自分では簡単に作れないものにしたいのが理想だけど。


そして、農業において今はほぼベテランの父にも母にも、ちゃんと「初めて」があったんだなあと。夫婦仲が危ぶまれるほどおいしい枝豆…父が毎年ビールのつまみに楽しみにする、その想いの起源がわかったのでした。


ところで挿絵は母の絵です。


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道草閑談 第2号 199361日発行

 

早春、ホタルの光

 

-二人暮らし-

 蕗(フキ)が誕生した日から七日間は、僕(カズ)と蛍(ホタル)の二人暮らしの日々。初めて母親のいない日々を過ごした蛍。ある時は必死にくちびるを噛みしめているようにも見え、またある時は頼もしい姿を見せてくれる。ここに表現しきれなかった蛍の成長が確かにあり、今、蛍はいい顔してるし…また少し美人になった…かな?

 

 僕たちは助産所に宿泊するつもりでいたから、蛍のおむつもひと抱えほど持ってきていた。…が、アッという間に蕗が誕生し、加緒子は「宿泊」ではなく「入院」する事になった。僕と蛍は宿泊する理由が突然無くなったので、熊谷先生と一緒に蕗に産湯をつかわせ、少し話をしてから江丹別に帰ることにした。もうそろそろ午後十時になる。

 帰り際、加緒子のそばで遊んでいた蛍を連れて、もう一度蕗の顔を見に行った。小さなベッドに小さな顔がスヤスヤと眠っている。僕は、蕗がよく見える高さに蛍を抱きかかえてやった。

 「蛍、たった今生まれた蕗だよ。弟が生まれたんだよ。」と、僕は嬉しいものだから、笑いながら何回も言うと、蛍は急に深刻な顔になり、頑なに視線を逸らした。笑っていた僕の顔が一時停止して…ちょっと狼狽しながらひとつ息を飲み込んで「蛍、赤ちゃんが生まれたんだよ、わかるだろ。」と繰り返してみたが、やっぱり蛍は僕の胸に顔を押し付けて、黙り込んだままだった。僕の笑った顔も、まだ一時停止したままだった。

 「おあずかりいたします。」と丁寧に顔をさげて下さっている熊谷先生に、僕はお礼を言って、蛍は「バイバイ」と手を振りながら助産所を出た。

 街の燈やネオン、喧騒をひとしきり通り抜け、山間に入ると後部座席から「オシナサマだ」という声がする。街の中では何となく忘れていた満月がポッカリと浮かんでいるのが見える。誕生の瞬間も、きっとこうして黙って僕達を見おろしていたのだ。街灯が一本もないような道なのに、街よりも明るく見える風景がとても不思議だった。

 明かりのついていない我が家に着いた時は、もう十一時をまわっていた。蛍を抱きかかえて車を降り、もう一度満月を見上げてから家に入った。

 蛍光灯を引っ張り、ストーブに火を入れ、部屋を見渡すと何となく間の取れない気持ちになった。それより眠くてボケッとした顔の蛍を何とかしなければならない。

 蛍のおむつを替えパジャマを着せて、僕はいつも通りTシャツとモモヒキ。二人で布団に飛び込む。蛍にとって加緒子のいない初めての夜だ。布団に入ってすぐ「加緒子、無いね」と「赤ちゃん、生まれたねぇ」を連発する。間の取れない気持ちだったのはむしろ蛍のほうだったらしい。変に陽気になって、蛍は同じ言葉を繰り返す。幼い心で今夜の出来事を必死に理解しようとしているのだ。これからは、一人っ子ではなく、蕗のお姉さんとしても頑張らねばならない。親からの愛情を蕗と分け合いながら生きてゆかねばならない蛍を僕は想い描いてみた。眠りにつくまでの間、ひとりごとの様に言葉を繰り返す横顔が、ひどく健気だった。

 三月八日月曜日。月例十五日目を過ぎるとまんまるになった月は、今度は欠け始める。我が家の一番エネルギーに満たされた、長くて短い一日があけた、いつもと特に変わらない、意外と落ち着いた気分だった。違う事と言えば、蛍と僕の食事を作る事とおむつの洗濯、掃除等の一切を自分でしなければならない事だ。僕の実家は仙台、加緒子は横浜。核家族の宿命である。

 ひととおり宿命を果たした後、また蛍を連れて助産所に行った。加緒子の安心した顔と熊谷先生の笑顔。そして蕗のあどけない寝顔が待っていた。蛍は、助産所はおせんべいが出るところだと思っており、着くとすぐテーブルの前に座るから面白い。加緒子を見ると、蛍はベッドに乗り急に甘えだす。他愛ない話をして、またもお菓子にありついてニヤついている蛍を連れて助産所を出る。

 帰り道。少々買い出しをした。僕はうどんは打てるけど、パンは焼けないので友人のパン屋さん「麦々堂」に寄った。何となく照れくさいような気分で蕗の誕生を報告した後、パンを買って帰った。

 そしてさらに翌朝。三月九日火曜日。僕の仕事は月曜はコーヒー屋。火、水、木曜は無農薬野菜の移動八百屋。金、土、日曜は百姓。今週だけは出産の予感があって、月曜ではなく日曜に注文分のコーヒーのほとんどを焼き終えていた。満月と熊谷先生に感謝である。

 今日から三日間は八百屋に変身する日なので、蛍は近所(…とは言っても十キロ以上はあるが…)の江丹別町嵐山のお友達、井代さん宅に預かっていただく事になった。七つ、四つ、そして昨年十月に生まれたばかりの赤ちゃんという三人の子どもがいる。上の二人はそれぞれ小学校と保育所に行っている。

 朝、一人大慌てでおむつ等の洗濯をし、八百屋の用意をして、いざ蛍を車に乗せようとすると「ウンチッ」…と、なかなか出られない。何とか井代さん宅に着いた。…が、当然遅刻。

 蛍が僕と加緒子の付き添い無しで「社会」に出るのは初めてである。不安と言うより、どんな問題が起きるのか見当もつかない。

 タンサン(お父さん)はもう仕事に出ていて留守だった。リモちゃん(お母さん)がつよし君(四ヶ月の赤ちゃん)を抱えて快く迎えてくれる。

 熱いお茶をいただきながら「何せ、親が側に居ないのは初めてだから…」などと話をしている横で、もう蛍はその辺のおもちゃを引きずり出し、遊び始めていた。二言三言話しただけで、そこらじゅうおもちゃと紙屑の山になった。「まぁ、こんなんなっちゃいますけど、宜しくお願いします。」とリモちゃんに言って「じゃあ蛍。お仕事に行ってくるから、いい子で遊んでるんだよ。」と言うと、遊びに夢中になっている蛍はほとんど聞いてないフリ。ちらっとこちらを見て無造作に手を振り「バイバイ、またね。」と言ってまた遊び始める。親子始まって以来の別れの時のわりには、ずいぶんサッパリと冷たい一言だった。「親が考える程、蛍ちゃんは気にしてないみたいねぇ。」と笑いながらリモちゃんが言った。…また僕の顔が一時停止した。

 火、水、木曜の八百屋の三日間、井代さんのおかげで無事過ぎていった。空ちゃん(長女)と遥ちゃん(次女)、そしてつよし君と親抜きで遊べた時間は、ずいぶん蛍を鍛えたらしい。僕や加緒子と違い、泣けば何とかなる相手ではない。それぞれがまず自分を主張する子供社会だ。皆、ストレートにぶつかり合い、ガチャガチャッとなってこんがらがったりして、そのうちに譲る気持ちも生まれる。そして黙って自分で耐え、自分自身を慰めなければならない事もある。

 だから夕方、仕事を終えて蛍を迎えに行き。満月山の麓の我が家にたどり着く時にはもう心地よい疲れに身を任せて眠りに就いている。食事は井代産のところでご馳走になっているので、すぐベッドに運び、着替えを済ませる。少し意識が戻ると、蛍は「赤ちゃん、生まれたねぇ」とポツリ、言ったりする。この三日はよく眠った。いつもならい三回以上はおしっこでおむつが濡れるから起きる。それが三日とも一回だった。…かと言っておしっこをしていないわけではなく、ずぶ濡れのおしりのまま寝ているのである。とても満足している寝顔だった。【カズ】

 

青大豆の話

 四年前。僕も加緒子も学生あがりの五月頃。僕はアルバイトをしながら建築家の設計技能を活かして?コーヒー焙煎器の設計、加緒子は某窯元に弟子入りして焼き物に没頭していた。その時暮らしていた小さな一軒家に、これまた小さな庭が付いていた。僕たちはそこを畑にしていて…何せ二人とも都会生まれのアスファルト育ちだったから、野菜を世話するなどと言うのはもちろん初めての事だった。

 ある時、近所のおばさんが一握りの青大豆の種をくれた。何はともあれ土に埋め、わけもわからず雑草なんかむしったりしながら三カ月眺めていた。

 ある晴れた日。その青大豆の枝を見ると、サヤが付き、ふっくらと実が入っているではないか。「オオッ」…と僕たちは驚き、その晩、鍋でゆでてザルに上げ、塩をチョイとふり、一回ずつマジマジと覗き込んでから口の中に放り込んだ。その後は早かった。二人の関係に亀裂が入るのではないか、と思うほどの勢いでザルはカラッポになった。今まで食べたことも聞いたことも無い味だった。枝豆の本来の味を初めて知った気がした。ウマかった。本当にウマかった。

 そんなわけで、僕たちは今も畑をいじくっている。その小さな一軒家から住所は点々として、その度に畑は広くなり(全部借りものだが…)、現在、一反半(約四百五十坪)。

 実はその小さな一軒家に住んでいた年の秋頃から、僕は偶然に無農薬野菜の八百屋を無店舗の移動販売という形で始めることになった。この仕事のおかげで、食べ物というものにまた別な角度で関わる機会を得た。

 …で、最近ふとスゴイ事に気が付いた。それは「食べ物に関わっていない人はどこにも居ない」という事実だ。

 この至極当たり前の事がなぜスゴイのか?

 僕達の若い世代は(僕は二十六)特に、生まれた時から「貴方は何になりたいですか?」という質問に馴染んでいる。つまりこれは分業という観念をはじめから肯定された形で頭に埋め込まれてきたわけで…やりたい事を自由に選べるという、いかにも華やかなイメージではあるけれど、裏を返せばやればできる事もしなくていい環境下で育ったと言えなくもないわけだ。

 僕が子供の頃は「プロ野球」で長嶋・王選手が全盛だった時はプロ野球選手になりたかったし、「太陽にほえろ」で松田優作がカッコ良かったりすると「刑事も悪くないな」と思ったりした。…まぁ、どれも子供の率直な気持ちで微笑ましいのだけれど、やっぱりみんな文字通り「食っていく」ために働くのだから「食べものに関わっていな人はどこにも居ない」のである。

 時代を問わず、あらゆる価値観を問わず、人は生きるために食べてゆかねばならない。これは呼吸や動作と同じで、食べなくても呼吸しなくても、人はコロッと死んじゃうし、動かなくてもいつか死んじゃう。立場と階級とか権威とは全く関係なく絶対必要な事だ。

 それがいつの日からか経済というものが生まれて「食べ物」はお金で取引される「モノ」になった。普遍的性格を持つ「食べ物」の価格はなぜか毎日その価値が変動する。ひと呼吸○○円と毎日請求される上に、毎日値段が変わるとしたら、これはもうすっかり閉口してしまう。それどころか、こともあろうにこんなに大切な「食べ物」を生産してきた農家の方が「食べていけない」という理由で続々と辞めてゆく、実に奇妙な時代になった。

 「エンゲル係数」という考え方がある。ドイツの学者だったエンゲルさんが思い付いた計算方法らしい。発想の原点は「食べ物」で、生計費の中で占める食費の百分率を示す数値だそうだ。そしてこの数値の大きい方が貧困度を小さい方が富裕度を示すらしい。生きる為に最低限必要だと定義した「食べ物」以外にお金が使える人ほど裕福だという。ここで絶対に目を背けてはいけないのは、エンゲル係数がぐんぐん小さくなり経済上裕福になった社会があり、もう一方で、その同じ社会の中で暮らす農家が続々と離農してゆく、という現実があることだ。この事はいったい何を意味するか?

 エンゲル係数が小さくなった裕福な社会ほど、経済による大きな歪みが発生する、という想像ができそうだ。その歪みというのは、さまざまな形になって現れる。

 たとえば今の日本のように「豊かさ」の定義があいまいなまま経済成長を望めば、自然と離農者は増える。なぜなら「食べ物」以外のものを手に入れる経済力が増えれば増える程、相対的に「食べ物」の価値は低下していくからだ。価値の無くなった「食べもの」を育てている農家が減っていくのは至極当然だ。農家が減って、農家一戸当たりの耕作面積が増えれば当然、機械と農薬、化学肥料の使用量は増加する。農地の減少と都会の膨張により、生産地はどんどん都会から遠くなるから、防腐剤等の食品添加物も増える。

 この先を書いてもキリがないけれども…つまり、あらゆる環境問題を引き起こす最大の原因になっている、と思う。「食べ物」は、経済成長という幻想を持ってしまっている社会の中で、お金で取引される「モノ」にしてはいけない。八百屋を営んでいる僕が言うと、かなり滑稽で何の説得力も無いけれど、現在の経済社会のようなスタイルは長続きしないんだろうなぁ、という気がする。今の分業社会は「人類が手を取りあい、助けあって…」というイメージとはほど遠いし、やっぱりはじめから分業しないで、出来る事はなるべく自分の手でやってみて、その上で小さな小さな分業が自然と出来てくる、その方がお互い分かり合えそうだし、…そんな世の中がいいなぁ。(何だか夫婦の関係も似ていると思うのは僕だけだろうか?)

 このあいだスゴイ話をコッソリ教えてくれた友人がいる。

「一粒のコメは大きくなって実をつけると、おにぎり一個分のコメになるらしい。おにぎり一個といえば何千粒か何万粒か?株式で相場を張るより、こっちの方が率がいいよ。なんせ一年で一万倍だ。」

 …四年前に近所のおばさんがくれたひとにぎりの青大豆は今、ひと抱えのネットに入って納屋に置いてある。【カズ】