前髪切ったら、帰りつつある私。

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少し前の話だけど前髪を切った。

前髪は数年前から横と同じだけ伸ばしていて、だいたいいつもパーマをかけていて、それはとても楽だったし、大人っぽく見えるから気に入っていたのだけど(小さいころから3~5歳は下に見られ続けてきたので)

たまたま中途半端な髪型になってしまったタイミングを機に思い切って前髪を切ってみた。

何年ぶりかに、私のおでこに現れた前髪をみて、私は笑ってしまった。

「子どものころの私だ!」
と思ったからだ。

パソコンに保存した過去の写真を調べてみると、ちょっと長めだけどはっきり前髪と分かる長さの前髪の私が、2012年の写真の中にいた。

つまり4年ほど前。4年ほど前といえば私は21歳くらいで、子どもとはいえない。

鏡の中のぱっつん前髪の私にリンクさせた「子どものころの私」とは、幼児期から小・中学生ころの私。まさに「子ども」と呼ぶにふさわしい時期。

美容室は行ったことがなくて、いつも母親が髪を切ってくれていた(ちなみに弟はバリカン)。

素人の母が切るから前髪はいっつもぱっつん。ついでに横もぱっつん(笑)

まるーいおでこに、そろった短い前髪。これが子どもの頃の私だった(ついでに当たり前だが背は今以上に低かった)

美容室の鏡に映る、ぱっつん前髪の自分を見て、

「なんだ、私変わってないじゃん」
とおかしく思った。


子どものころは、早く(年齢的に)大人になりたくて、(外見も)大人に見られたくて(中身は落ち着いてた、または大人しかったからね笑)たまらなかったのに、子どものころのような前髪に戻った自分を見て、私はなぜかホッとした。

「私、変わってない」と思えることに、なぜかホッとしたのだ。

なんだか、結局これが本当の私なんだとふいに納得がいった。

ぱっつん前髪がトレードマークだった自分。
背伸びしても背は伸びないし大人っぽくもなれない自分。
クラスの端っこで気の合う友達と絵を描いたり少女漫画や小説の話をしていた自分。
クラスで目立っていた友達には何とか合わせて愛想笑いしていた自分。
団体行動は苦手で煩わしくて、一人で考えて動くのが好きな自分。
ジブリアニメの影響で、木の枝で弓矢や剣を作ったり、飼っていた白い犬にまたがって遊んでいた自分。
顔に白いごはん粒をたくさんつけておにぎりをほおばっていた自分。

もちろんどんな髪型をしていようが私は私に決まっている。ロングだろうがベリーショートだろうがアフロだろうが、私は私だ。でもなんだか、背伸びしない分自分らしくのびのびといられる気がする。これはとっても、感覚的なことだけど。

最近は自分というものが大きくなりすぎて、人と共有できないことの大きさが大きすぎて、内に内にと入りつつある(もちろんいつかは共有できないことを堂々と伝えられるようになりたいのだけど)。でもそのぶん自分がどんなふうに生きたいか、どんなふうに大切な家族と生き延びていくかが、明白になってきた。

いま私が「帰りつつある私」は、本来私が生きたかった「私」だ。そんな気がする。

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