「NO」の向こうの「YES」

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最所あさみさんのnote

note.mu

を読んだ。

「妻への家路」という中国映画(あらすじ:文化大革命終結し、20年ぶりに解放された夫が喜び勇んで家に帰ってみると、最愛の妻は心労のために夫の記憶だけを失っていたー)について書かれたコラムだ。

私はこの映画のタイトルのみ知っていてまだ見ていないが、最所さんの感想にズキュンときてしまったので引用してご紹介させていただく。

 

人はみな、自分に「YES」と言ってくれる人を探し求めているものだと思います。

でも本当に大切にすべき愛情は大声で愛を叫んでくれる人ではなく、静かに大きな「YES」をもって待っていてくれる人なんじゃないかと思うのです。

何ができるとか、肩書きとか評価なんてものに左右されずに、いつもそこに佇んで、「YES」と微笑んでくれる人。

 

私はこの文を読んで、自分も見事にあてはまってしまうなあと思いつつ、同時に考えた。

 

突きつけられたNOの後ろに、見ようとしなければ見えないYESもあるのではないかと。

 

最所さんの言うとおり得難い愛情である「YES」はとても静かで控えめで、ぜんぜん主張しない。だから見えない。気づかない。本当はひそやかに「YES」をくれているのに、ともすれば「NO」のように思えることすらある。

 

「NO」は「NO」でしかない。そういう拒絶もあった。けれども、あなたが身を引きながら静かに私に送った「NO」の向こうには、痛々しいほどにやさしい「YES」があったのではないか?

 

最所さんのコラムを読みながら、何度振り返ったかわからない記憶を改めて捉えなおそうと試みる。

あなたの最後の「手紙」から何度、「意味」を取り出そうとしただろう。

覚えてしまうほどに読んだ「手紙」。怖くてもう開けない「手紙」。

 

冷たく微笑んで突きつけた「NO」の向こうに、もしかしたら静かな「YES」があるのかもしれない、それは今でももしかしたらやさしく私を包み続けているのかもしれない。そんなことを気づかせてくれるすてきなコラムだった。

「妻への家路」を近いうちに見てみようと思う。

 

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