世界からコンバインが消えたなら

スポンサーリンク


 

今日は我が家の稲刈りだった。知り合いの無農薬の農家さんが、稲を刈って脱穀するコンバインと、脱穀したお米を運ぶ小さなトラックを持ってきて、刈ってくれた。

 

私が実家にいた高校生までは、ほとんど手刈りで、はさがけという手法で乾燥させていたので、コンバインという巨大な機械で稲を刈る様子を間近で見るのは、恥ずかしながらほぼ初めてだった。

 

今日は晴天だったものの、何日か雨が続いた後だったので、田んぼはかなり水を含んでいた。コンバインのキャタピラーが通った後の轍を見てびっくり。その深さと、それでも泥にハマらないコンバインに。

 

f:id:asahanablog:20171001212642j:plain

 

コンバインという機械はあまりに有能だった。次々と稲を根元から刈り取っては先端の稲穂を脱穀し、残った茎や葉は何等分かに切り刻んで田んぼに戻していく。何百キロもの籾のついたお米は、コンバインの中にストックされていく。

 

長辺が3メートル以上はあろうかというキャタピラーだからさぞ走る速度は遅く、小回りがきかないかと思いきや、サクサク走るし、クルクル回れる。プロの農家さんに比べたらわずかしかないうちの水田は、あっという間に稲刈りが終わってしまった。

 

f:id:asahanablog:20171001212808j:plain

↑コンバインが水田に入るところ。なんとも、かっこいい。

 

私は猛烈な速さで稲を刈り脱穀していく巨大な赤いマシンを見ながら、ぼんやり考えた(機械と、運転手さんが有能すぎて、何もやることがない(;^_^A)。

 

こんな立派な機械があるから、農家が減っても、日本中の人たちのお米を賄えている。田植え機もそうだし、農薬をまく機械もそうだ。手作業ではとても終えられない仕事を、巨大で高価な農業機械たちが肩代わりしてくれている。

 

世界から猫が消えたなら』という小説(映画)を見たけど、もし「世界からコンバインが消えたなら」と考えた。田んぼで重そうに穂を垂らす稲をすべて手で刈れるだろうか。冬までに刈れなければお米は重たい雪に埋もれてしまう。そうなれば向こう1年の国民の主食は食卓から消える。

国民はその危機を理解できるだろうか。「これは大変だ」とみんなで稲を刈ってくれるだろうか。そんなところまで想像した。

 

全ての田んぼを手で刈る労力を魔法のように消してくれるコンバイン。すばらしい人間の発明。ありがたや、ありがたや、と思うと同時に、脳裏には打ち消せない想いが広がる。

 

それは一家に一枚、田んぼがあり、自分の食べる分は自分で作る。次の秋まで命を繋げられるかは、お天道様と、自分たちの労働にかかっている。そんな暮らしが、一番幸せなんじゃないか…

 

そんな想いだ。

 

f:id:asahanablog:20171001214941j:plain

↑とにもかくにも、稲を刈り脱穀していくコンバインを見ているのはとてもおもしろかった。

 

f:id:asahanablog:20171001214949j:plain

↑ひと仕事終えて、栗の枝にぶつかりながら山(つまりうちの畑)を下りていくコンバイン。おつかれさま。刈ってくれた先輩農家のKさん、ありがとうございました。

 

そういえば、今日、初・雪虫でした…!

大雪山も初冠雪が報じられたし、冬も本当に間近、な北海道です。