自分のこと

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私はいつでも、自分のことは一番わかっているつもりでいたけれど、自分のことについて、最近になって初めて認識したことがある。

私は一人が好きだけれど、その反面、「家族生活」というものをすごく求めていたということだ。

 

福島原発事故が起きて、家族に様々なことが起き、母とかわいがっていた双子の弟が石垣島に移住してから、私にとって母と弟たちが元気に幸せな毎日を送ってくれることが最重要事項となった。学校に通うことができなかったり、就職がうまくいかなかったりと、一般的なルートをたどることにはつまづいてきた弟たちの、生活というよりは精神面を私はいつも心配していて、「家族」というものについて、私はいつも弟にばかり気を取られていた。

 

でも最近は、弟たちがそのつまづきを乗り越えつつあり、心配させられることも少なくなった。それで私はハタと気がついた。私は最愛の弟たちの存在を隠れ蓑に、自分自身に目を向けることを避けていたのだと。本当は、大学に入って初めて一人暮らししたときとなにも変わっていない。私は、家に帰れば両親と弟たちがいて、一緒にあたたかい食卓を囲む。そんな「家族生活」というものに未だ憧れているのだと。

 

そして、弟たちを助けてあげなければという思いから少しずつ解放されつつある今、結局私は自分自身がどうしたいのかは、未だぜんぜんわからないのだということも。

このブログにも、石垣島プチ移住日記をたくさん掲載しているけど、あのプチ移住が終わる頃も、同じことを書いていた。弟のことだけでなく、自分自身のことを考えなければと。私はそのころからなにも進歩していなかったんだな。

 

この国から原発をなくしたいとか、場所に縛られない働き方をしたいとか、今まで「これが私のやるべきことだ!」と思ってきたことはことごとく弟のためで、何ものも前提としない私自身がどう生きたいかは、ぜんぜんわからない。

 

強いていえば、「仕事を生活にしたい」「生活がそのまま仕事になるように生きたい」という思いはある。だけどその前提には、「健康に生き延びたい」という想いがなければいけないんだけれど、それが、やっぱりまだ、取り戻せない。

 

あのときのように、まっしろい季節がやってきて、あと数ヶ月で、1年になるのにね。

 

わかっているよ。私が前に進めないのはあなたのせいじゃない。全部あなたのせいにして、強くなることから逃げているだけなんだ。

 

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今年の初薪ストーブの火

 

asahana.hatenadiary.com