10年の「空っぽ」

スポンサーリンク


 

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 

f:id:asahanablog:20180101133650j:plain

 

2か月ぶりの丸1日の休みで、遅い朝ごはんというかお昼ご飯のおしることお雑煮を食べた後、短い散歩に出た。元旦に雪が降らないのは、何年ぶりかというほど久しぶりな気がした。快晴ではないけれど青空が見えて、鳥のさえずりもほとんど聞こえない、静寂の朝。

 

私はいつも自分の心のままに、わがまますぎるほどに正直に生きていると思っていた。親も私の選ぶ道に干渉しない。自分の心に逆らえないから、ストレスだってそんなにない。心身ともに比較的健やかに、自由に生きていると。

 

でも何度も浮かんでは打ち消して目を逸らしていたのが、自分は空っぽだということ。

音楽も聞かずに、静かな雪景色の中を歩きながら、私は、一体いつから「空っぽ」を抱えるようになったんだろうと考えた。

「空っぽ」のカケラはたぶん幼少期からあった。でもその「空っぽ」がくっきりと目の前に立ち上がり、それに圧倒されて打ちのめされたのは、高校3年生の、生徒会執行部として向き合った学校祭が終わってしまったときだった。

その時は、全精力を傾けて、執行部と協力して大役を終えたことに対する、ただの燃え尽き症候群だと思っていた。でも私のいた高校は進学校で、学校祭が終えた後は受験勉強のラストスパートの始まりだった。私はそこで無我夢中になれる程の(進学先の)「選択」ができず、大学以降でやりたいことを何もはっきりできないままここまで来た。10年もの間どうやら、「空っぽ」を連れ歩いてきてしまったようだ。

 

むろん、やりたいことがはっきりしていなければ価値がない人生とは決まっていないし、坂爪圭吾さん的に言えば「生きているだけ」で全く問題ないのだし、そういう人がみんな「空っぽ」を抱えているわけじゃないと思う。

でもたぶん、「空っぽ」を持っている人は、常にそこに何かを詰め込もうするんだと思う。何か夢中になれるものや新しい趣味をそこに入れれば「空っぽ」は埋まるんじゃないかと。私の場合はその時々にいた恋人であったり、自己啓発本を読みあさることだったり、原発問題だったり、迷える弟たちを支えることだったり、「この大変な時代を生き抜こう」的なスローガンだったりしたんだと思う。でも結局どれも心の底から納得できず、自分のものにしきれなかったニセモノで、空っぽは埋まることなかった。

 

そしてついには、この10年抱いた中で一番大きな「希望」になり得たものを、私は去年の2月に失い(それは”開いたばかりの花が散る”かのようだった*)、「空っぽ」を抱えながらも私の根底にずっと流れ続けていた血であり骨であった価値観までもが疑わしいものになり、信じることができなくなった。

 

私が唯一色々な本音を話すことのできる、年上の友人に言われた言葉が頭から離れない。

 

 

”親のマインドコントロールは解けたかい?”

 

 

*宇多田ヒカル桜流し」の歌詞より