今の基準と過去の基準~洋服編

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誰の中にでもある、何かを決めるときの「基準」。

この言葉がここ最近私の中の大切なキーワードになっている。

自分の基準も、誰かにとっての基準も気になるし、一人の人の中の、今の基準と過去の基準も気になる。

 

基準って、時間とともに変わるものだ。

わかりやすい例が、洋服のチョイス。

 

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今年くらいから静かに私の中にも舞い込んできてしまったブーム、それが断捨離。ミニマリズム。持たない暮らし。

 

といっても、そういう価値観、つまり必要以上にものを持たない暮らしに憧れるようになっただけであって、実践できているかといえば程遠いのだけど。

 

断捨離に取りつかれた女性が真っ先に捨てるものといえば、やっぱり衣類。

大学生のころ(実家を出たころ)から自分で働いたお金で頻繁に服を買うようになり、衣類は増えていくばかり。私の中にも「いつか捨てるだろう」モンスターがいて、学生のころに買って、何年も着ていないにもかかわらず捨てずに持っていた服がたくさんあったけれど、今年は鬼のように捨てている。

合計2~3袋になった45リットルのごみ袋の中の服たちを見て、どうせ捨てるのに何でこんなに買ってしまったんだろうと後悔する。

 

特に学生のころは自分に似合うものと好きなものの違いが分かっておらず、似合うか、着る機会があるかは別として、好きだから、ひとめぼれしたから、安いから…そんな理由で安価な服を頻繁に買っていた。

 

あの頃の基準は何だったんだろう…自分と衣服の関係が、まだはっきりとわかっていなかった。「好き!」「安い!」「かわいい!」で飛びついていた。

 

年がたっていろんな失敗や後悔を経て、自分にどんなものが似合うのか、どんなものを頻繁に着ているのか、そして「少女」ではなくなっていった自分がこの先どんなものを着ていくのか…そういうことが少しずつ分かってきた。

 

今年になって、断捨離やミニマリストというものに惹かれているくせに、この夏けっこう服を買ってしまったのは、新しい「今」の基準をはっきりと認識できていて、なおかつこれから始まる「西方での新しい暮らし」を意識しているからだろう。

 

20代後半になった今の私の衣服選びの基準は、

・素材が「綿」「麻」(冬物なら「ウール」「アルパカ」など)

・丈夫そう(伸び縮みしにくそう)

・落ち着いたデザイン(柄よりシルエット重視)

 

学生時代などは、透け感や光沢があったり、見た目きれいだけれど、すぐヨレヨレになるし静電気も起きるし、綿や麻よりも暑く感じる「ポリエステル」や「アクリル」などの合成繊維のものばかり買っていた。意図していたわけではないけれど、安さやぱっと見目の良さ(多分その時は見る目がなくて)を重視して買うと合繊繊維だらけになっていた。

 

合成繊維のヒラヒラサラサラした服は、一見涼しそうだけれど綿や麻より暑く感じるんだよ、と教えてくれた母の言葉は今でも忘れられない。

 

かつての自分の洋服チョイスの基準は頼りないものだったけれど、今の自分の基準は割と信頼している。

 

この夏が終わったら、過去の基準で選ばれた服を処分して、今の基準で選んだ服だけにしたい…と思っている。