”会話”
蒸し暑い日々が落ち着いて、北海道らしいカラッとした暑さになってきた。
午前中に田んぼに入って、疲れ果ててリビングのソファに寝っ転がる。
網戸の向こうで、木々の葉がさやさやと音を立てると同時に、涼しい風が入ってくる。
――あの木はなんていう木?
頭の中で問いかける。
――こちらは毎日真夏日だよ。あなたの住む森は涼しいの?
――もうすぐお盆だね。あのうろこ雲の日からもうすぐ1年だね。
私には手紙を送るべき住所も電話をかけるべき番号も分からないけれど、いつもあなたに問いかけて、あなたの返事を想像する。
――1年はあっという間でしたね。お互い環境の変化があって、心境の変化があって、色々なことが、すっかり、変わってしまいましたね。
そうだね。時間が流れるのはあっという間だね。どんどん過去になっていくのは悲しいけれど、時間が流れるから歩き出すことができるとも言えるよね。
もしも時間があの2月のまま止まっていたなら、心が耐えられるわけない。
これはただの私の想像。妄想ともいう。あなたと交わせたであろう幾千もの豊かな会話を想像する。私の知るかぎりのあなたで、精いっぱい描いてみる。
誰かを失うということは、その人との会話をも失うということなんだよね。
まるで修学旅行の夜のように、朝まで話したって話は尽きることがないと思っていたよ。
夢の途中で目を覚まし
まぶた閉じても戻れない
さっきまであなたがいた未来
尋ねて 明日へ
田んぼのおじゃま虫「アブ」と私の怠慢
我が家で今年から新しく使いだした田んぼ。十数年?何十年?使っていなかったので地力があるから、化学肥料を使った水田のように稲がグイグイ育って、血眼になって除草しなくても(除草剤使わないから手で除草する)量がとれるだろう、という田んぼ。
だからペーペーの私にも管理できるだろうってことで除草を任されてたのだけど、他のことをやってるうちに除草を怠って、田んぼの雑草の王者「稗(ひえ)」が稲を飛び越しておっきくなっちゃった。最近はそれがあまりに目に余るので私も腰痛と太ももの裏の筋肉痛に耐えつつ除草、除草…
まあ体が痛いのは仕方ないとして、嫌なのはしつこく寄ってくる「虻(アブ)」。ハエを大きくしたような姿(ハエ目という分類に納まる)で、大きいハチに似た羽音。体長は2cmくらい。
スズメバチが寄ってくると体の周りを何周も飛んで、(刺激しない限り)辛抱してるうちにいなくなるけど、アブの場合は血を吸うことが目的だから蚊のように寄ってきて、体にとまりたがる。そして服の上からでも刺す。蚊以上にチクッときて、蚊以上に腫れる。1週間くらいかゆい。
↑アブ(Wikipediaより)
今日も(143cmの)私の腰あたりまで伸びた稲と稗の中に顔を突っ込んでひたすら除草していたのだけど、しょっちゅうアブが邪魔しに来るから、アブはもしや雑草を守りに来てるんじゃないかと…そう錯覚するほどに、水田の除草の邪魔をするのでした。
(スズメバチが寄ってきたならジッとしてやり過ごすけど、アブが寄ってきたら、私の体にとまるのを見計らってバシッと叩く。叩かれた私の足もジンジンするほどに思いきり叩く。蚊のように簡単には死なないから。そして結局刺されても刺されなくても痛い…)
↑水田にたくさん生える「コナギ」の花(初めて調べた)ちなみに調理の仕方によってはおいしいとか。
肉厚で観葉植物にしてもいいようなおしゃれな姿をしていますが、やっぱり稲が育つのには邪魔になるみたい。
この田んぼに地力があったにしても、私が除草怠らなければもっと収量上がるかもしれないよな~と反省。
こんなのんびりなこと言ってられるのも、専業農家じゃない挙句、父親に甘えてるからなんだよなあ、と反省する日々(-_-;)
来年はたとえ花が美しかろうとこんなに大きくなる前からちゃんと草取りします…。
スズメバチの羽音
玄関の外に出た時にものすごく強烈な「ブブブブー!」という羽音が聞こえてきて、きょろきょろ見回したところ、玄関の横に設置してあったハチの罠に見事に大きなスズメバチがかかって暴れていました。
罠にかかってしまったスズメバチにはかわいそうだけど、子どもの時に刺されたことがあるので、お許しを…(靴をはいたら、靴の中にいて、ハチに刺されたことすら分からず痛みにギャンギャン泣いて母を呼んだのでした。足はパンパンに腫れましたが、心臓に遠かったので大事に至らなかったらしいです)。
それにしても、まっ黄色の体、真っ黒い目、くっきりとした腰のくびれ…これぞ恐れるべきスズメバチの姿…思わずまじまじと見入ってしまいましたとさ。
バジルペースト大量生産
今年は30株ほど植えたバジルがたくさん枝分かれしてパクチーに負けないほどわさわさに育ったので、これを無駄にすまいと意気込んでバジルペーストを大量に作りました。
バジルって葉っぱをちぎってしまうとすぐ黒ずんでしまって長持ちしないので、株ごと大量に収穫してきては加工、収穫してきては加工、とがんばりました。
↑洗いながらひたすら葉っぱをちぎって、
↑リサイクルショップで見つけてきたスピナーにかけて水気を飛ばし、
…その後の写真はありません、手がオリーブオイルでべとべとでm(_ _)m
そして2日間、トータル8時間ほどがんばったところ、2キロほどのバジルペーストが完成しました。
今回は空気に触れる前に急いで瓶詰めをすることで、去年よりかなりきれいなグリーンに仕上がりました。
材料は
・バジル
・カンホアの塩
・あらびきコショウ
・にんにく
・オリーブオイル
だけ。
販売したいと思いつつ、結局製造許可の勉強を怠ったので今年も趣味の範囲…でも原価計算したところ、この調子でたくさん作れればまあまあお金になるかも…?何よりバシルは発芽が早くて栽培も簡単でありがたい。
まだまだバジルは倍の量ハウスの中で元気なので、今度は乾燥させて乾燥バジルを作ろうっと。バジルソルトもいいね。
とにかく今年のバジルペーストは販売できないのでお世話になっている人にプレゼントしまくります。パンに塗ってチーズやトマトのせて焼くとおいしいですよ☆サラダオイルやオスを足してドレッシングにも使えます~♪
季節の覚え書き(7月)
前回の記事にも関連することだけれど、私は観賞用の園芸というものにはとても疎くて、花壇を飾るような花の名前はあまり知らないし、きれいだとは思うけどなぜかあんまり親しみを持てない。見ていてホッコリしないというか。
でも野の花や木々ならいくらでも見ていられる。調べたくなる。そして日々の生活に活用したくなる。
7月17日(月)の季節の進み具合をここに書いておこうと思う。
- オオハンゴンソウの蕾がたくさんついていた!(この記事を書きたくなったのはこれを発見したから)これが咲いたら一面黄色になるよ(外来種だけど)
- ドクダミの白い花が最盛期(摘み取った茎の匂いは正直くさい)
- ハウスのトマト、ニンジン、カボチャ、枝豆が採れ始める
- みつばちファームのオカヒジキ初収穫
- スモモの木のとなりにサクランボの木があることに気づく(たぶん1本しかなくてあまり着果しないのかな。もう1本植えてみようかな)
- 栗の花が咲いて落下する
- クルミの青い実がだいぶ膨らんでいる
- ノコギリソウのピンクの花が咲いた
- オオウバユリの花が落ちた
- 桑の木は、赤い実と黒く熟した実が半々(今年はめっちゃ実がついてる!)
これが7月半ばのうちの周りの様子。
家から畑に向かう道は、栗の木の下を行く地面の道と、アスファルトと2つあるのだけど、どちらを歩く時も私はキョロキョロ周りを見回している。
木の赤ちゃんがたくさんあるな。何度刈り倒したか分からない草がまたすっかり元通りだな。桑の実が食べごろだな。これから青い小さい栗の実(イガ)がつきはじめるな。あのドクダミはどうやってお茶にするのかな。クルミを拾って乾燥させて食べたいけれどちょっと採りづらい場所だな。いつの間にオオハンゴンソウの蕾がついてる、夏もピークに向かおうとしているな。そんなことを延々考えながら畑へ向かう。
わざわざ花壇を作らなくても、植物たちの移り変わりを見ていられる場所に住めて本当によかった。
↑写真は今日収穫したオカヒジキ。いつもお店で買っていたものを収穫できるしあわせ。
ミツバの花とゴボウの花
畑にいるときはたいてい手が汚れていて、ついつい写真を撮りそびれちゃうのだけど、今日はちゃんと記録しました(スマホのカメラだけど)。
じゃがいもの花とかトマトの花は見たことあっても、なかなかミツバの花やゴボウの花って見る機会ないんじゃないかな。
↓これはミツバの花。ちょっと、画質が…orz
白い小さな花でした。調べると、日本では水耕栽培が多いみたい。野生のものは栽培されているより大きく、旬を過ぎると葉がゴワゴワしています。茎も太くて、スーパーで見るような透きとおった感じとはまた違う。野生のものってなんでもそんな感じがします。
↓こちらはゴボウの花。あれ、まだつぼみだった… 見ての通り、どうやらアザミのような花が咲きそう…とげとげです。武骨で素朴なゴボウさんとはまた違う印象ですね。これを引っこ抜いたらゴボウがあるなんて不思議…!
このゴボウは、私が気まぐれに昨年畑のすみに蒔いた種が、多年草ゆえに定着してくれたらしい…多年草ってホントすばらしい。ほっといても毎年出てきて、思い出したときに取りに行ってすぐに食べられる。あーしあわせ。
”あなたが守った街のどこかで” 宇多田ヒカル『桜流し』
青森に向かう夜中の新幹線の中で、私は、私の見えている世界を部分的に共有してくれている、数少ない友人に、メールを打った。自分の、その時の状況をかいつまんで。それは今年の冬のこと。
後から知ったのだけれど、その友人は、寝たきりになっていたおじいさまを見送ったばかりで、お通夜やお葬式などの一連のことが終わってやっと一息ついた夜のことだったのだという。
友人は私のメールを受け取って、おじいさまのことは一言も言わず、自分も大変だったのに、私を励ます言葉をくれた。
私は、心細さと、不安と悲しみと戸惑いがごちゃ混ぜになった状態でいたけど、その友人と丁寧に言葉を交わしあったことで、妙に色々なことがはっきりと腑に落ちたのだ。
私の旅は、ただ自分の気を済ますためだけのものになるだろうこと。本当の目的は、願いは、果たせるわけはないこと。でもこのたびが無事終わったからって、気が済むわけもないってこと。目を背けたくて仕方ない”希望のなさ”を、はっきりとつきつけられて旭川に帰るんだろうってこと。
私はそれから毎日問いかけている。
あなたの人生を脅かす、私という存在を消去した世界で、あなたは思い通りの日々を、心穏やかに暮らせていますか。
Everybody finds love in the end
もう二度と会えないなんて信じられない
まだ何も伝えてない
まだ何も伝えてない
開いたばかりの花が散るのを
見ていた木立の遣る瀬無きかな
どんなに怖くたって目を逸らさないよ
全ての終わりに愛があるなら
私の世界もいたって穏やかだよ
どんなに苦しくたって乗り越えてみたいと思った山はもうないから