お金と時間は全然イコールじゃない

 

以前も書いたけれど、冬になって、農作業がないので3つ目の仕事を始めた(「仕事って言うけどアルバイトでしょ」って鼻で笑う人いるけど、これで生活しているのだから立派な仕事だと思う。。

ランチタイム5時間、夜は3時間、という勤務時間の食堂だ(確認しなかったのが悪いのだけど、働き出してから交通費が出ないことに気が付いて自分に舌打ちをした。冬は片道30分近い通勤なのに…)。時給は北海道の最低賃金810円。


フリーランスや起業家が増えているとはいえ、会社に雇われて月給や時給で働いている人がまだまだ多数派。

私のように時給で働く、というのは、単純に言えば自分の限りある時間と引き換えにお金をもらうということだ。

身近に(一番身近なのは父であるが)経営者、自営業者やフリーランスの人が多くいるので、ただ時間を差し出せば決まった日にお給料がもらえるアルバイトやパートって、当たり前だけどなんて気が楽なんだろうと思う。たとえ今日1日食堂にお客さんが一人も来なかろうが働いた時間だけお給料が出るし、万が一経営が傾いて閉店しても、別のアルバイトを探せばいいだけのことだ(まして私は掛け持ちしているから、そこまで慌てることもない)。でも経営者は、今後どうやって家族をどうやって守っていくのか、取引先に迷惑をかけないようにするには…と、頭を悩ませなければならないことはいくらでもある。

そう。アルバイトは、何年も安定してお給料がもらえるかわからない、福利厚生が薄い、などのデメリットはあるものの、会社や事業を維持することの責任が自分の肩に実質的には乗っていないという意味で、気楽な働き方だ。


けれど、時間に余裕ができたから、少しでもお金を稼いで貯めよう、と安易に時給制のアルバイトを増やした自分に、今は蹴りを入れたい気持ちだ。

 

そもそも私は、なぜに旭川の街中での一人暮らしをやめて、農業を営む実家に戻ってきたかと言えば、作物の育て方を覚え、自分の生活をなるべく自分で作れるようにするためだったのだ。

 

描いていた通り完璧に、とまではいかないが(仕事2つ掛け持ちしながらだったので)、シーズン中は、ひととおり作物の栽培と収穫を経験し、いくつかの保存食を作り、夕方からの仕事にはなるべくお弁当を作って持って行っていた。父の役にも少しは立てた。

 

それがどうだろう。農作業がなくなって時間ができたからと、アルバイトを増やした結果、終日休みの日は1日もなくなり、年末年始も休めるのは元旦のみになりそうだ。

日中は牛乳配達か食堂。夜は月の3分の1~2分の1の割合でCoCoDeに勤務。つまり夜の仕事がない日のお昼過ぎ~夜が私の休息時間になったわけだけど、そういう「休み時間」は魂が抜けたようにだらだらと過ごし、映画を見るか、本を読むか、ネットを見るか…家のことを丁寧にやる気は全然起きなくて、週数回の家での自炊も、おざなりに…。「自分の生活を自分でつくる」とはほど遠い毎日になってしまったのだ。もちろんお弁当もあまり作らなくなって、バイトの合間のご飯は買って食べることが格段に増えた。昼も夜も仕事がある日は、冬道の運転が大変ということもあって、朝家を出て夜23時近くまで出っ放しなのだ。

 

最近、太ももや腕がかゆいなーと思ったら、はじめて実家を出て大学の女子寮に入ったころ、慣れない集団生活のストレスと、食生活の乱れによって出来たのと同じ発疹ができていて、自分でも、「あー乱れているな。体がサイン出しているな」と嫌になるほどわかる。

 

春に、ちょっとまとまったお金必要なこともあって、どうせ農作業が冬休みなら、キツイだろうけど、まとめて稼いでしまおう!と意気込んで始めた仕事だったんだけどな。思った通り裏目に出たというか、自分には向かなかったというか。家で過ごすせる時間は多いほどうれしいし、お金は必要な分あればいいという性分だから、うすうす分かってはいたんだけど、さ。。(笑)

(最近はそれでも、せっかく稼いでいるのにお財布の中身があっという間になくなっていくことや、自分の生活の雑さに罪悪感がつのって、閉まってあった炊飯器を引っ張り出してきて(ずっとコンロの火で釜炊きだった)、なんとか朝にご飯だけは炊けているようにして、おにぎりだけは握っていっている…。)


とはいえ、自分の望む生活とはある意味真逆の生活をしてみて、かえって自分のことがよく分かったし、勉強になった。お金が足りない足りない言っている人が、どうしてそんなにお金が出て行ってしまうかということも。時間に追われる生活をしている人が、毎食作ることがどれだけ難しいか、食材の安全なんて考えている余裕もないってことも。

 

でもやっぱり、バイトを増やさなければ、もっと家のことを丁寧に出来たし、雪かきの戦力にもなれたし、薪割りもできたし、薪ストーブ生活もできたし、せっせとお味噌を仕込んで商品を製造こともできた。もっとエアロバイクにも乗れたし、本もたくさん読めたし、長い長い冬を自分なりに楽しむこともできただろう。

 

時間を差し出せば、お金は手に入る。でも、お金の代わりに、たくさんの、できたはずの経験を失ったのだ。もちろん世の中は、この仕組みで(お金で買える「楽ちん」が増えて)、どんどん便利になって、忙しい人が楽をすることができるようになっているのだけど、かわりに、何か、その人が会得できたはずのことを、失うのだと、そんな当たり前のことを、いまさらながらに思い知ったのだ…

要するに私にとって、だんぜん、時間はお金を数倍も数十倍も上回る価値のあるものだったのだ。

もちろん、それを思い知ったからと言って、始めたばかりの仕事をすぐにはやめたりしない。一度始めてしまったのだから、ちょっとしんどい冬になるだろうけど、当初の予定の期間だけは、やってみようと思う。そしてできれば、二度とこんな生活はしたくない…とひそかに心に誓っている。

 

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↑家のトイレの窓の凍結。

HIP HOPきてる

音楽の近況。HIP HOPきてます。

音楽雑誌や、洋楽CDのライナーノーツに書いてあるような難しいコメントはできないんだけれど、HIP HOPのリズム、その後ろで流れるメロディ、洋邦問わず心地よく、思わず体が動いてしまう。そしてそのメッセージは切実。私がHIP HOPを自主的に聞くようになるなんて思ってもなかったけれど。

You Tube や、ラジオのおかげで、どんどん好きな音楽の幅が広がっていきます。

[最近惚れたアーティスト(HIP HOPのみならず)]

・N*E*R*D

・KOHH

・Kendrick Lamar

Beck

EMINEM

Mondo Grosso

Solange

Chris Brown

・Calvin Harris

Linkin Park

 

何度でも新しく生まれる(DVD付)

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たからもの

仕事を増やした。毎日毎日、1か所か2か所、働きに行く。

家でのんびり、自分の時間がたっぷりある生活が好きな私が、それとは真逆のことをしている。空虚な時間を、考えなければならないことを考える時間を、少しでも埋めたい。

 

遠くの空の下にいる友達の様子をツイッターなどで見ていて思う。自分のことを誰も知らない土地に生き、全くまっさらな状態から人生をやり直せたらいいのに。そのときは今より無知でバカな人間になりたい。とほうもない夢や希望を真顔で信じられる人間になりたい。

 

でもどこか新しい土地へ行ったところで、出会ってきた人も、経験してきたことも、修正できない。この虚しさが、どこかへ行ったところで簡単になくなるとは思えない。

 

最近は気持ちのいい秋晴れの日が続いて、薄い水色の高い空の下に、真っ白な雪をまとった青い青い大雪山が、紅葉の山々の向こうに気高くそびえているのが見える。大きな両腕を広げて、おおらかにこの土地を包んでいるのが見える。

ああ、この眺め。この景色。大好きな北海道の、上川の、象徴的な景色。

どこか遠くへ行ったとしても、この景色を、私は心の底から恋しく思うだろう。

いくつもない宝物の、この景色は間違いなくそのひとつだ。

 

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『君の名は。』鑑賞

私はあまのじゃくなのか、世間で騒がれすぎていると自分もそのブームに乗るのが嫌で、落ち着いたころに見よう、と思ってしまう。なので、「君の名は。」も今頃鑑賞。先月くらいからDVDレンタルが始まったからね。

 

新海誠のアニメーションは映像の美しさに定評があるのはいまさら触れるまでもないけど、そのストーリーや登場人物たちの「語り」にもかなり特徴がある。

主人公たちはみな、心にぽっかりと空いた穴を抱え、虚空をつかむように「誰か」を探している。

君の名は。」もまさにそんな独白で始まったので、ああ、今回も新海節が炸裂しているなぁーと思いながら見たけれど、今回のストーリーは今までの作品と比べると、若干対象年齢を下げたのかな、という印象だった。過去と未来、夢と現実を行ったり来たりするのでそういう意味では時系列をつかむのが難しいけれど、主人公たちの感情はピュアでまっすぐで、わかりやすいと言っても差し支えないものだったと思う。

新海氏の代表作「秒速5センチメートル」は3つのストーリーが連なってできているが、それぞれの登場人物たちは、想い人への純粋な想いを抱きながらも、より現実的な虚無感ややりきれなさと直面し続け、互いの人生はすれ違い続ける。アニメでありながら、大人の恋愛映画とも言えた。

 

君の名は。」はそういう意味ではすごいハッピーエンドだったし、ファンタジー要素が強いので、美しい映像と軽快な展開で楽しませてくれるエンタメ映画だったかな。

(ようするにおもしろかったけど「秒速5センチ」が好き、結局。山崎まさよしOne more time, One more chanceが映画を倍すばらしくしているのもあるしね)

 

さあて、先日も映画を一度に15本くらい(←ちょっと病気じゃない?)借りてしまったのでがんばって見よう。

 

以下に借りた映画並べとこう。過去のヒット作もかなりあり

(邦画)

キセキ / 愚行録 / 日本のいちばん長い日 / ヒーローマニア / 夕凪の街、桜の国 / エイプリルフールズ / 電車男 / フラガール / 22年目の告白-私が殺人犯です-

(洋画)

ムーンライト / はじまりへの旅 / バトルシップ / ローガン

(アニメ)

君の名は。 / マイマイ新子と千年の魔法 (「この世界の片隅に」借りたいのにいつも全部借りられている)

 

絶頂とうつろい

 

初雪も近いだろう。家のまわりの山々は、紅葉がピークを迎えている。

寒い日を重ねるたびに濃く鮮やかに色付いていく木々を見ながら、私は新鮮な驚きを隠せない。

 

こんなにきれいだったっけ?

 

夏の瑞々しく力強い森の緑にも、美しすぎてまるで絵のような秋の紅葉にも、私はまるで騙されたような気分になる。毎年見ているはずなのに、いつも新鮮なのだ。

 

それと同時に思う。わざわざロープウェイに乗って高い山に行かなくたって、名所と言われる場所に出かけなくたって、私はここで、移ろいゆく季節を、毎日つぶさにこの目でとらえることができている。紅葉の木々の中を毎日仕事に向かい、毎日家に帰る。名所で紅葉の絶頂だけを見るより、紅葉の中で暮らすことができることの方が、ずっと幸せで贅沢なんじゃないか。そんなふうに思った。

 

ちなみに北海道の最高峰・大雪山連峰も、雲がない日は、ああ、真っ白に雪化粧しているなあ。ああ、今日はだいぶ融けたんだなあ。と、牛乳配達しながら毎日見守っている。

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(↑2017/10/1)

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(↑2017/10/1)

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(↑2017/10/1)

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(↑2017/10/1)

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(↑2017/10/11)

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(↑2017/10/11 以上全てOLYMPUS PENで撮影@うちの前)

 

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(2017/10/6 スマホで撮影@旭川空港のある東神楽町

恋があったこと WOWOWドラマ『私という運命について』

 

誰に迷惑をかけたわけでもないし

うしろめたいことでもないのに

誰にも話すことができない

 

だからこそ私の胸の中で

それは静かに輝きを増し

尊さはふくらむ

 

WOWOWドラマ『私という運命について』(原作:白石一文)に出てくる

「思い込んだら命がけ」という言葉が少しだけ勇気をくれる

 

相手のあるはずの恋だとしても

これは私ひとりの身勝手な思い込み

 

ドラマの登場人物の言葉を借りて、思い込みの激しい私は、あなたに言いたい

「あなたはどうして間違ってしまったのですか」

 

 

世界からコンバインが消えたなら

 

今日は我が家の稲刈りだった。知り合いの無農薬の農家さんが、稲を刈って脱穀するコンバインと、脱穀したお米を運ぶ小さなトラックを持ってきて、刈ってくれた。

 

私が実家にいた高校生までは、ほとんど手刈りで、はさがけという手法で乾燥させていたので、コンバインという巨大な機械で稲を刈る様子を間近で見るのは、恥ずかしながらほぼ初めてだった。

 

今日は晴天だったものの、何日か雨が続いた後だったので、田んぼはかなり水を含んでいた。コンバインのキャタピラーが通った後の轍を見てびっくり。その深さと、それでも泥にハマらないコンバインに。

 

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コンバインという機械はあまりに有能だった。次々と稲を根元から刈り取っては先端の稲穂を脱穀し、残った茎や葉は何等分かに切り刻んで田んぼに戻していく。何百キロもの籾のついたお米は、コンバインの中にストックされていく。

 

長辺が3メートル以上はあろうかというキャタピラーだからさぞ走る速度は遅く、小回りがきかないかと思いきや、サクサク走るし、クルクル回れる。プロの農家さんに比べたらわずかしかないうちの水田は、あっという間に稲刈りが終わってしまった。

 

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↑コンバインが水田に入るところ。なんとも、かっこいい。

 

私は猛烈な速さで稲を刈り脱穀していく巨大な赤いマシンを見ながら、ぼんやり考えた(機械と、運転手さんが有能すぎて、何もやることがない(;^_^A)。

 

こんな立派な機械があるから、農家が減っても、日本中の人たちのお米を賄えている。田植え機もそうだし、農薬をまく機械もそうだ。手作業ではとても終えられない仕事を、巨大で高価な農業機械たちが肩代わりしてくれている。

 

世界から猫が消えたなら』という小説(映画)を見たけど、もし「世界からコンバインが消えたなら」と考えた。田んぼで重そうに穂を垂らす稲をすべて手で刈れるだろうか。冬までに刈れなければお米は重たい雪に埋もれてしまう。そうなれば向こう1年の国民の主食は食卓から消える。

国民はその危機を理解できるだろうか。「これは大変だ」とみんなで稲を刈ってくれるだろうか。そんなところまで想像した。

 

全ての田んぼを手で刈る労力を魔法のように消してくれるコンバイン。すばらしい人間の発明。ありがたや、ありがたや、と思うと同時に、脳裏には打ち消せない想いが広がる。

 

それは一家に一枚、田んぼがあり、自分の食べる分は自分で作る。次の秋まで命を繋げられるかは、お天道様と、自分たちの労働にかかっている。そんな暮らしが、一番幸せなんじゃないか…

 

そんな想いだ。

 

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↑とにもかくにも、稲を刈り脱穀していくコンバインを見ているのはとてもおもしろかった。

 

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↑ひと仕事終えて、栗の枝にぶつかりながら山(つまりうちの畑)を下りていくコンバイン。おつかれさま。刈ってくれた先輩農家のKさん、ありがとうございました。

 

そういえば、今日、初・雪虫でした…!

大雪山も初冠雪が報じられたし、冬も本当に間近、な北海道です。