私は不自然な存在だから、雑草のように死にたい
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日曜日、晴天。
私は菜っ葉のハウスで、ナスやピーマンの横で、20~30センチほどに伸びた草たちをむしっていた。
久々に陽ざしをたっぷり浴びた草たちはいきいきしていて、再びどんどん空へ伸びていこうとしていたので、むしるのはかわいそうな気がしたけど、しょうがない。
むしってもむしっても伸びていくから、とりあえず今だけ通路をスッキリさせさせておくれ、という気持ちでむしっていた。
でもむしっているうちに、なんだかすごーく気持ちよくなってきたのです。
草むしりHigh?
雑草といえど、生命力に満ちた草たちはたくましいし、うつくしいし、やわらかくておいしそうだし←
草を根こそぎ持ってかれて驚き慌てる土の上の虫たちすら愛おしく感じてきて。
ハウスの中は暑いけど、裾を開けてあるから吹き抜けていく風はサイコーに気持ちいいし。
それで私は、わずかに掘り返された土と、ちぎられてしまった草たちの上に、うつぶせに横になりました。
父に目撃されたら、暑くて倒れてると思われる光景だっただろうな…
そんな低い視点から撮った雑草たちの姿。
最近よく思い出す、母の言葉があります。
「人間が手をかけた作物は腐っていく。私は雑草のようにからからに干からびて死にたい」
何年も前に聞いた言葉で、そのときは、そんなもんかなーと思っていたけど、
今は私も自然と同じように思う。
人間なんて、「種を残す」という生命の意志に逆らった生き物だ。
自ら生命力をそぐようなことばかりする。人間も含めて自然の一部で、循環してバランスをとって生きているはずなのに、人間はそのバランスを壊し続けている。そんな生物、他にどこにもいない。
どんな生き物も、自然の中で生きていれば、死んだときは、土に返って次の生き物たちの栄養になっていく。
それをしていないのは人間だけ。
私は最近それが、ひどく気持ち悪いのだ。
旭川の街中にいるときよりも、草の上にいるとき、自分が周りの植物や動物たちとは、異質な、不自然な生き物な気がする。
だから、土の上に寝転がった時、死んでこの草たちの栄養になりたいな…と思った。
死んだら、人の目にはつかないような場所に転がしてほしい。そしてゆっくり時間をかけて、今まで私を包んでくれた自然たちの糧になりたい。生き物の循環の中に加わりたい。
私は不自然な生き物だから。
だから、そうしたらやっと、他の生物と同等の生き物になれるかな?
死してやっと生物として完成、みたいな。
はじめてそんなことを思ったのだ。
生命の法則に逆らい、たくさんの毒で汚してしまったこの体を、死ぬときまでにはきれいにして、心もきれいにして、自然にお返しできるかな。
黙々と取り組む草取り。
本当にいろんなことを考えさせてくれる時間です。
心で感じることが増えて、ブログネタつきません\^0^/