「隠居しよっかなー」と思った件について② ~やっぱり私は「専業」ではない

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過去の記事「複数の自分のススメの理由」 や、「私が正社員になりたくない理由」 で も書いたように、私は常勤の仕事ひとつだけ、にしたくなくって、3~5時間ほどの仕事を、今は3種類ほどかけもちしている。

 
リスクを分散させたいからでもあるし、自由な時間がほしいからでもあるし、長時間ひとつの場所に拘束されるのが苦痛だからでもある。
 
この働き方はとても自分にあっていて、かれこれ1年半がたつけれど、ストレスなく続いている。時には在宅の仕事もある。
 
けれど、まちなかで雇われて働く仕事を複数、というのはもうはや人間らしくない気がしていて。
人間らしくないというか、うーん、生き物らしくないというかんじ?
 
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確かに日本で生きていくうえでお金は必要だけど、生きていくのに一番必要なのは食べ物なわけで、お金で食べ物は今は買えるけど、今はまだ買えるけど、、、、
 
とにかく、自分が生きていくのに絶対に必要な作物を作るということを、全く知らないというのは、「生きる能力が弱い」と思う。
 
作ることばかりでなくてもいい。自然の中にあるもので何が自分の命をつないでくれるのか、つまり、何が食べられるのか。(父はよく、「おまえ猟銃の資格取らないか~」と私に言う。いやたしかにエゾシカおいしいしなあ。クマ退治もできるしなあ)
 
ということで、はやり?の半農半Xじゃないけど、まず、自分の食べるものは自分で調達する。せめて、主食と野菜くらいは。
 
そんで、税金やら保険料やら燃料やら、お金の形で払わなければならないものが色々あるから、どうしても外貨を稼ぎに行く(アルバイトのこと)んだけど。今やっている仕事で、メインにしているものを、農作業と両立できればなーと思う。もちろん、野菜は食べきれないだろうから売ってもいい。
 
分業がここまで極端に進むまでは、みんな家族で何頭か家畜を飼ったり、お米を作ったり、縫物をしたりして、生活に必要なものをそろえていた。冬が来るまでに冬を越せるだけの食べ物を蓄え、加工して保存し、冬は出稼ぎに出たりしていた。
 
今は分業が進みすぎて、お金でなんでも調達しすぎて、私たち人間の手のひらの中に、生きる力がない…。今までの私もそうで、父が汗水たらして畑を続けてくれているから、安全な食べ物が手に入っていたけど、もうこれ以上、食べ物を得ることに無責任ではいられないな…と思う今日この頃。
 
複業が好きだから、向いているから、というより、生きていくのに必要なことを自分の手でやろうとすると、自然と複業になる。のである。
 
昨年の初めから始まった私の複業生活は、まるで隠居生活への準備期間のようではないか!と思ってみたりする。
 

そもそも大原扁理さんの「20代で隠居」や「年収90万円で東京ハッピーライフ」とか、イケダハヤトさんの「年収150万円で僕らは自由に生きてゆく」、phaさんの「ニートの歩き方」なんて本が出る時代。みんなお金を稼ぐためにあくせく働くのはもういいんじゃないか、それよりもっと多様な生き方、暮らし方、食べ方があるんじゃないかと思っているのは間違いない。