収入を最小限にする実験
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大学を休学して実家に戻り、そのあとひとり暮らしを始めて5年以上になる(今は実家だけれど)。
旭川は贅沢しなければ家賃も安いし物価も低いし、時にはフルタイムで、時には複数の仕事を掛け持ちしながら、自分ひとり生活していくだけならまあまあ余裕のある収入を得てきた。毎月変動はあるものの1~5万円くらいは貯金もできていた。
大人っていいなあ。いちいちお財布の中身をチェックしなくたって数千円の買い物もポンとできる。自己投資と言い訳して月に本を数冊買うことだってほとんど罪悪感はない。週40時間以外(今は3つ掛け持ちなのでもう少し多いけど)は完全に自由だ―!という感覚がずっとあったし、今もそう思っている。
でも、少なくも私は、余裕があると、余裕がなければ買わなくてもなんてことないものも、買ってしまっている。それに、仕事を増やして、忙しくすればするほど、家のことをやらなくなって、お金で解決しようとしてしまう(お弁当を作らずに買ってしまう、がその筆頭)。
その分、何を失っているかと言えば、時間だ。
↓この記事でも書いたけど
時間を切り売りすればお金になるけれど、その時間でできたはずの、もっと違う次元の「体験」や「学び」を手放すことになる。
3つめの仕事を始めてだいぶ消耗してきた(やっぱり忙しい生活は向いてない!泣)私は、最近こんなふうに考えるようになった。
お金があれば何かあっても大丈夫とは思わない、けれど助けられることもある。だから万が一の時のために貯金はするけど、たくさん稼ぐことには重点を置かないことにした。特に、時間と引き替えにしたお金は私にとってあまり意味をなさない。
— ブラックじゃないコーヒー (@Ms_HOPPY) 2018年1月21日
何度もこのブログに書いているように、私は外に出ている時間より、家で家事をしたり本を読んだり音楽を聴いている時間が好きだし、自然と向き合う畑仕事が好きだ。重ねて最近は、「生活=仕事」を実現したいと思っている(ここでの「仕事」とは金銭を稼ぐものではなく、「ライフワーク」の意味に近いかな)。
私は比較的慎重で、危ない橋は渡らないたちだから、生活に余裕があることに安心感を見出していた。
けれど、ここで働き方の大改造をしてみたくなった。必要最低限の収入で、いわゆる「ギリギリの生活」をしてみたらどうなるだろうか。服もお菓子も、もしかしたら本もなかなか買えないけれど、毎日の生活のことをきちんとして、日が昇っている時間は畑で過ごす、そういう時間が持てる暮らし。
本当にそれでやっていけるだろうか。そういう不安は尽きない。でもそれは、どれだけ貯金しても「絶対的な安心」なんてないのとおんなじだ。やってみなければわからない。これは、収入を最小限にする実験であるとともに、自分がいかに物欲を押さえられるのか、いかに工夫して心豊かな生活を送れるのか、という実験でもある。
何かチャレンジしたいことがあるけど、リスクを恐れて踏みだせない時や、失敗が怖くて周りに宣言できない人は、「○○の実験をしてみる」というふうに、最後に「実験」という言葉をつけてみるといいんじゃないかな。「失敗」という結果も含んだ実験。
— ブラックじゃないコーヒー (@Ms_HOPPY) 2018年1月22日
そして収入を最小限にするために、3つの仕事のうち、2つを辞めます。何を辞めるかは…またそのうち書きます(ちなみに3つの仕事の収入の全体に対する割合は、ざっくり6割・2割・2割です)。
また、北海道の農業のオンシーズンである3~10月以外、つまり冬はまた全く別のことをしようと思っています。その頃には残した仕事も辞めることになるでしょう。これはまだ先のことなのではっきりしていないけれど…これも決まったら書きます。
いつどこで死んでも自分で選んだ道なら満足だ。身軽に生きたいと切に願う。
— ブラックじゃないコーヒー (@Ms_HOPPY) 2018年1月22日
今年は「収入を最小限に」、「夏と冬で暮らす場所を変える」実験をする。#働き方 #生き方 #他拠点 #石垣島