ひとりである と知る ~映画『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』を見て

 いまさらながら映画『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』を見た。

 あの映画を見るときっと、親が死ぬときのことを、否が応でも考える。

 自分の価値観や、軸みたいなものを築いた人間が、この世からいなくなる。たとえ兄弟がいても、どこか、ひとりぼっちになったような気分になるんじゃないかって、想像しきれない頭で想像してみたりする。ちょうど、『キッチン』(吉本ばなな著)のみかげちゃんのような気持ち。ひとりぼっちになったようで、悲しく、寂しいけれど、心が静かで、手放しで「自由なんだよ」と言われたような気持ち。何も持たず、宇宙に放り出されたような気持ち。

 

 よくよく考えてみれば、親が存命であろうがなかろうが、人はひとりなんだった、と思い出す。すっかり忘れていた。何かが忘れさせてくれていたのか。

 

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はじまりで終わりの今日

おせっかいなGoogle Photoが去年の今日何をしていたのかを鮮明によみがえらせてくれる。

 

でもそんなことしてくれなくたって忘れようがない思い出っていうのはある。

 

1週間以上前から、ラジオでは札幌雪まつり旭川冬まつりの情報が飛び交っていた。

 

でもそんなことしてくれなくたって忘れようがない思い出っていうのはある。

 

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世界を見たい、人間を知りたい

こんなツイートをした。

私は「未来に備えなきゃ」と思いすぎて、未来を全く気にかけないとしたらどうしたいかを考えることがヘタになっていた。

 

「正義」は、当たり前のごとく正しすぎて、それ以外の答えは許されないような息苦しさを感じるけれど、個々の人間にとって、大事なことがそれぞれ異なるのは当然のことだ。

 

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貯める?手放す? "未来"への備え方

 大規模災害の発生や、北朝鮮の脅威などが騒がれると、何となく色んなものを集めて保管しておいた方がいいような気がしてくる。防災グッズしかり、食糧しかり、お金しかり。あればあるだけ安心(でも3日分?1週間分?1ヶ月分?いくらあっても完璧な安心はない)。

 

我が家にも、常にお米や調味料や保存のきく野菜や、ソーラーパネルやら蓄電器やら高性能マスクやらがある。車に入っている分以外のガソリンや薪などの燃料もある。

 

「何が起こるかわからない未来に備える」を前提として(全く備えないというのもアリなはずだ)、その備え方は、つい食料や燃料やグッズの備蓄にばかり目が向きがちだが(自治体単位などでは、もっともだと思うが)、「収入を最小限に、時間を最大限に暮らしたい」と思うようになってからは、「手放す」備えもあるのではないかと考えるようになった。

 

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映画『ムーンライト』を見て~過去とは断ち切れない地続きの「現在」

 「ムーンライト」は、第89回アカデミー賞で8部門にノミネートされ、作品賞などを受賞したことでも昨年もっとも話題になった映画のひとつだ。

 

上映時は全く知らなかったが、アカデミー賞受賞のニュースと、ツタヤに大きく張り出された、青い光に照らされた黒人の顔(ちなみに原案が「In Moonlight Black Boys Look Blue」というらしい)が印象的なポスターを見て気になっていたものを、やっと今日見終えた。

 

本作は、小学生?時代、高校時代、そして大人になってからの、3つの章に分かれている。貧しく治安の悪い街で、麻薬に溺れる母親のもとで育った気の弱いシャロンが、いじめや親友の裏切りを通して、分厚い鎧をまとった大人へと成長するものの、親友との再会を通して、自分のアイデンティティを見つめなおす…そんなストーリーだ。

 

子ども時代に忘れたくなるような経験をした人が大人になった時、過去をどう解釈しなおすのか、どう折り合いをつけて、大人として平気なフリで社会生活を営んでいくのか…ムーンライトで描かれたシャロンの孤独や苦しみ、そしてそれを忘れたくても背負って生きざるを得ない姿が、シャロンほどのつらい経験をしていなかったとしても、大人になった私たちにその普遍的なテーマを静かに突きつけてくる。

 

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自分に合う生活のリズムを探している

 

私はいつも、「自分がやりたいこと」がわからない。そこそこに好きなことはたくさんあるけれど、全身全霊をかけて熱中・集中できるほどのものが、未だ見つからない気がしている(必ずしも見つけなければいけないわけでは、もちろんない)。

 

ただ、ひとつ分かったことがあって、それは私は社会人になってから(大学を中退してから)ずっと、自分に合う生活のリズムを探しているということです。

 

生活のリズムとは、まさに1日の時間、または1ヶ月、1年の時間を切り分けて、何にどう使うか、ということです。その「生活」には、プライベートな時間だけではなく仕事の時間も含まれます。

 

私は、転職や、引っ越しなどをきっかけに、1年ごとくらいに生活のリズムが変わることが多いのですが、ことに今年は、今までとは全く違う生活を作ろうとしていています(それは決して意図的に、というか、生活のリズムを変えることが主題だったのではなく、結果的にそうなったのですが。下記記事参照)。 

多くの人がそうだと思うのですが、私も社会人になってからこれまで、基本的には、生活費を得るための仕事が中心にあって、それ以外の時間を、家事や趣味や副業に使うというパターンでした(ただ、牛乳配達を始めてからは、配達が昼過ぎに終わるので、それ以外の時間の使い方の自由度は高くなりました)。

 

今回はこれまでとはかなり異なります。今までである意味いちばん「ワガママ」な生活リズム。「家と畑での生活」と「石垣島で暮らしたい」を中心に描いた生活リズムを実行しようとしています。

 

もちろん、これで経済的な意味で生活していけるのか、またこのリズムが自分に馴染むものなのか(ストレスが増えはしないか)も、やってみないと分からないので、場合によっては1年後、新たな「生活リズム」の暮らしを始めているかもしれません。

 

仕事を人生の中心に置いている人や、今の働き方に満足している人はいいと思うのですが、もし今の生活にストレスを感じている人は、自分の望む生活リズムを考えてみてもいいのかもしれません…^ ^

 

ちなみに私が妙に納得した、鳥井弘文さんのブログ記事も貼っておきます。

 

絶望の中からしか見えない光

 

私は今、数カ月前、いや、数日前には考えもしなかったであろう道へ進む選択をしようとしている。

 

ずっとずっと、死にたい、消えたいと思うほどの「抜け出せない」感覚が続いていて、それは年が明けてからいっそう濃く、打ち消しがたいものになっていた。私は、本当にいつ死んでもいいと思っているけれど、この「抜け出せなさ」から抜け出すには、どんどん沈んでいく自分の心を何とか救い出さなければいけない、と、自己防衛のようなものが勝手に働いていたような気がする。たぶん、本当に消えてしまうか、それともこの人生を続けるならどうやって続けるのか、そんなふうに無意識のうちに考えていた。

 

ほどほど天気のいい日、東神楽を自分の車で牛乳配達していた時だった。

そうだ、石垣島で暮らそう、石垣島の母と弟と暮らそう、と思い立った。

 

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